“男だけのバレエ団”こと「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」初の日本人ダンサーとして話題になった名取寛人さん(47)。マッチョな体をチュチュに包み、古典バレエを華麗かつユーモラスに踊るトロカデロのバレエは娯楽性が高く、高度な技術に裏打ちされたステージは国際的に評価が高い。
メインステージに立てるのは、常に20人弱という狭き門。そんな難関バレエ団で7年間、年150回に及ぶ公演をこなし、寛人さんは踊り続けた。退団後はダンス・パフォーマーとして活動しながら、自身でプロデュースから演出まで手がける「Hiroto’s show」を始め、一昨年には東京都世田谷区代田にバレエスタジオ「N ballet arts」を開設した。
「スタジオも順調に生徒さんが増えて、本来は何の不満も悩みもないはずです。でも思ってしまうんです。このままでいいんだろうか、と。50歳という人生の節目の年齢が近づいてきて思ったんです。ありのままの自分をさらけ出して生きようって」(寛人さん・以下同)
その半生を、すべて隠さず明かすタイミングはいま−−。決意した彼は、1年後の出版を目指し、自伝を書き始めていた。
「原稿用紙でまだ100枚くらいですが。子供のころからの僕のすべてを書いています。僕が女性として、この世に生を受けたことも……」
’68年10月12日、寛人さんは名取家の長女として誕生した。5歳上に兄がいる。寛人さんは幼いころから活発で、近所の野山でクワガタやザリガニをとって遊んだ。自然に男の子とばかり遊び、仮面ライダーなどのヒーローが大好きで、女の子らしいことは大嫌い。自分は男だと信じたかった。しかし、中学2年のとき、心のなかでいちばん避けていた現実を、ある日、突然、突きつけられる。
「生理になったんです。『神様、ふざけんなよ!』って感じでしたね(笑)」
初めて勤めたのは新宿の“男装の店”だった。20歳ごろから男性ホルモン注射を打ち始めると、髭が生えるようになっていった。ダンスショーで有名な六本木のレストラン「金魚」に入店したのは20代半ば。メインダンサーとして踊る毎日は幸せだった。しかし、’98年、4年間働いた「金魚」をやめて目指したのはダンスやショーの本場・NY。渡米を前に胸の除去手術も受けた。
NYではバレエのジャン・ミラー先生に師事。ある日、朝のバレエクラスに“オーラの違う男性たち”が5人やって来た。自主練習に来たトロカデロのダンサーだった。楽しそうに踊る彼らのバレエに魅了され、公演を見た寛人さんは確信する。
「入団したい!ここが僕の個性を出せる場、自分を輝かせることができる場だ!」
ミラー先生に相談すると、即座に「無理ね」という答え。しかし、続けて「でも、ヒロトなら諦めることはないわ」とも言ってくれたという。そして’00年10月、初の日本人ダンサーとしてトロカデロに入団した彼の芸名は「ユリカ・サキミツ」。
「トロカデロでは女性だと絶対に気づかれない自信はありました。当時もいまもマッチョですから。ただメンバーたちから『女装が似合うよ』と、言われるのは複雑でしたね」
隠し通す自信はあったが、常に不安もつきまとう。そんな不安が現実のものとなったのは、’05年だった。中国公演を前に、寛人さんはトロカデロのディレクターに突然、「パスポートが“F”(Female=女性)なんだけど」と指摘されたのだ。
「ガーンですよ。いまごろそんなこと言うの?5年も世界を回ってきたのに、って」
ディレクターが本当に気づかなかったのか、それとも知らんぷりしてくれたのかはわからない。「何かのミスだろうから、日本に帰って直してきてくれ」とだけ言われた。この事件を機に、寛人さんは性転換手術を決意する。ちょうど傷めた膝の手術を受けることになっていたため、8カ月の休養をとって、手術も法的手続きも一気に済ませることにした。
「手術後の痛みは想像以上でしたが、その後の法的手続きは意外なほど、とんとん拍子でした。親の同意もあったから、2週間もかからずに戸籍も免許証もパスポートもFからM(男性)になったんです」
さらに2年、トロカデロで踊り、’07年に40歳を前に寛人さんは帰国した。それから9年。日本でも寛人さんは着実に、その歩みを進めてきた。それなのになぜ、自分の過去を公表することにしたのか。
「正直言って、カミングアウトの影響について不安はあります。『女性自身』を読んだバレエスタジオの生徒さんの反応とか……。でもいま自分の生き方を振り返ってみて思ったんです。もっと自分をさらけ出していたら、違う人生もあったんじゃないか、と。トロカデロ時代も、僕はあえて、自分からは仲間と親しく話そうとしなかった。うかつにしゃべって、性について突っ込まれることを避けていた。でも仲間に正直に話せていたら、もっと人と深く関われたのではないか、と。今回、公表することで、何かが変わるんじゃないかと、いまはワクワクしています。怖がらず、そのワクワク感を大事にしたい」