震災からまもなく2年が経とうとしている――。被災地で闘い続けている女性を取材した。

 

 

71歳の児玉久子さんが、茨城県の病院を辞めて福島県南相馬市の大町病院に移ったのは、あるテレビ番組がきっかけだったという。その番組では、大町病院の看護部長が元同僚の家を訪ね歩き、「戻ってきてくれないか」と頭を下げていた。

 

病院は福島第一原発から25キロ北にあり、原発事故のために一時は屋内退避指示区域に指定。務めていた看護師たちが次々と職場を離れてしまい、看護師は事故前の5分の1に激減していた。

 

「同じ看護師を束ねる立場にいる者として、胸の内が痛いほどわかりました」

 

児玉さんは23歳のときに看護師になって以来、看護師畑を歩み続け、大町病院に移る前は、茨城県の病院で55人の部下を束ねる看護部長を務めていた。茨城県に一軒家も建てて、そろそろ看護師引退も考え始めていた時期だったが、決断した。

 

「大町病院に着任したのは去年の12月。現在は非常勤職員として、看護師全般の仕事を引き受けています。長く看護部長を務めていましたから、久しぶりに直接患者と接する仕事に就いて生きがいを感じています。”遠くから来てくれてありがとう”と患者が手を握ってお礼を言ってくれるんです」

 

被災地で医療行為に従事する責任の重さにストレスをためる同僚も多いが、ベテラン看護師として、その相談相手も買って出ている。

 

「3月末で契約が切れますが、更新を願い出るつもり。もうすぐ看護師になって50年を迎えますが、ここで看護師人生を終えたいと思っています」

 

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