度重なる緊急事態宣言や酒類提供禁止によって、計り知れない打撃を受ける日本全国の飲食店。まるで飲食店が感染を拡大する悪者であるとするような言説も未だに後をたたない。人々の飲食店との向き合い方が転換点を迎える今、料理人として飲食業界の最前線に立つだけでなく、『おいしいものでできている』(リトル・モア刊)などを上梓する文筆家でもあるイナダシュンスケ氏に“孤食”について寄稿していただいた――。
飲食店には大きく二つの役割があります。
ひとつは「おいしい料理を食べるための場」としての役割、もうひとつが「コミュニケーションを深める集いの場」としての役割です。ただし、この二つははっきりとどちらかに分かれているわけではありません。例えば、おいしい料理を目的に友達同士で誘い合わせてレストランに赴く時でも、そこでの会話は料理のおいしさ、楽しさをより高めてくれます。
また接待や仕事上の付き合いで(時として渋々)会食に参加する場合でも、そこでの料理がおいしければ純粋にそれを楽しむひと時もあります。飲食店の役割は、料理人がおいしい料理を提供するとともに、サービスマンが円滑なコミュニケーションの場を提供することでもあるのです。
ところが突然のコロナ禍によって、飲食店におけるコミュニケーションの場としての役割は、突然奪われてしまいました。飲食店の様々な業態の中でも特にコミュニケーション機能重視である「居酒屋」は当然のように大きな打撃を受けました。そして、何よりも高品質でおいしい食事を提供するための場とされてきたはずの割烹やフレンチなどの高級店も、実際はその多くが接待やデートなどのコミュニケーション需要に支えられていた事実を露呈するかのように苦境に立たされたのです。
ただ私は個人的に、コミュニケーションの要素ゼロでも純粋に料理を楽しむという飲食店の利用法、つまり端的に言うと「おひとり様」がもっと認められてもいいのではないかと昔から考えていました。私自身はそういう楽しみ方も好きですし、また自分が運営するレストランでもお客さんにそれを心置きなく楽しんで欲しいと考えています。同じような人々も常に一定数はいます。
しかし世の中には「おひとり様」を楽しみたいという気持ちはありつつなかなか踏ん切りがつかない人々や、よしんば実行しても居心地の悪い経験をしてしまって再び足が遠のく人々も少なからず居ます。
定食屋やラーメン店など短時間で手っ取り早く食事を済ませる、言うなれば「ケ」の外食においてはおひとり様のハードルはさほど高くはありません。しかし、おひとり様を積極的に楽しみたい、つまり純粋に食べることを楽しみたいと考えている人々にとってはそれだけでは飽きたりません。もっと時間もお金もかけて「ハレ」の食事を楽しみたいと考えて当然です。
私自身は、割烹でもフレンチでも一人で気ままにコースを予約して出かけることは日常、とは言わないまでも時折の楽しみです。カップルや女性グループで賑わうイタリアンにふらっと赴いて、食前酒をすすりながら真剣にメニューと睨めっこしながらこれから何を食べるか考えるのも至福のひと時です。
気の合う仲間と楽しく会話しながらの食事ももちろん楽しいものですが、一人でじっくり、丹精込めて作られた料理と向き合うのはそれとはまた違った喜び。料理を味わうことそのものに関しては、むしろ一人の方がその解像度も上がり、新たな発見もあることもしばしばです。食べることが好きな多くの人々にこの楽しさを知ってほしいとも思います。
自分が平気でそういうことができるのは、自分が彼らと同業者であるが故にお店の使い方を心得ているから、という部分があるのも確かだとは思います。普通は「いい店」になればなるほど「こんな所に一人で行っていいんだろうか?」「一人で来ている自分は他のお客さんに変な目で見られるのではないだろうか?」という逡巡が生まれるのが普通でしょう。
しかし実際のところ、多くの店はおひとり様を歓迎しています。心から歓迎しています。少し極端で意地悪な言い方になりますが、おひとり様を歓迎しない店は料理そのものよりコミュニケーションの場を提供するという役割の方を重視している店。つまり価格に対して料理自体の価値がそれほどでもない店も少なくありません。
あくまで料理そのものが主役の店、つまりひとりでじっくりそれを味わうお客さんにも来て欲しいと思っている店が、もっとそのことを分かりやすくアピールしてくれればいいのに、と常々思います。そしてお客さんの側もお店のそんな気持ちを目敏く汲み取ることで、おいしいものを提供したいお店とそれを心ゆくまで楽しみたいお客さんの「幸福な出会い」が生まれるのです。
数年前「おひとり様ブーム」みたいなことが静かなトレンドになった事がありました。高級レストランとまではいかなくても流行りのおしゃれカフェで一人食事をするのはちっとも恥ずかしくない、むしろかっこいいこと、みたいな文脈だったように思います。
ドラマ化されて人気を呼んだ「孤独のグルメ」も、また別の角度からこの潮流を象徴していたと感じます。何の躊躇いも物怖じもなく一人悠々と食事を楽しむ主人公の姿は、すでにおひとり様を楽しんでいた人々には圧倒的な共感を、それを躊躇っていた人々には純粋な憧れを、そしてそういうこととは全く無縁だった人々には「世の中にはこういう楽しみ方もあるんだ」という新鮮な発見をもたらしました。
少なくともこの10年くらい、私自身も自分たちが立ち上げる飲食店においては「おひとり様にとっても使いやすい店作り」を常に意識してきました。カウンターメインのランチ主体店だけでなく、コース料理メインのレストランでも積極的におひとり様での利用のしやすさをアピールし続けてきたのです。
そんな私の立場からこういうことを言うのはいささか我田引水かもしれませんが、お店側が一人客を積極的に迎え入れようとしないのも、お客さん側が一人客を異端視するのも、はっきり言って時代遅れな感覚だと感じています。そういう意味で今は過渡期なのです。
少なくとも今の時代、「おひとり様」は飲食店に残された数少ない希望です。ここまで静かに醸成されつつあった「おひとり様文化」こそがこの逆境をわずかでも乗り切る希望の綱。私自身も、ピンチをチャンスに変える、とまで言うと不謹慎ですが、今こそ「おひとり様文化」の醸成がこれまでより一気に進み、それによってこの苦境は乗り越えられるはず、と奮起したのです。いや、奮起せざるを得ませんでした。
しかし残念なことに政府の飲食店に対する感染防止策は、おひとり様もそれ以外も全て一緒くたにした制限の数々でした。そのこと自体がやむを得ないことだったという理解はもちろんあります。制限に少しでも例外を設けたら、そこにつけこむ恣意的な解釈、例えばおひとり様を装って三々五々集う悪意の人々などの排除も困難になるのは明白です。
それでも私は、おひとり様の推奨こそが感染リスクを上げることなく飲食店を、また飲食文化を守る最大のポジティブな対策だと考えています。今後の政策決定にこういう視点が持ち込まれることを常に期待しています。
コロナ禍収束がいつのことになるかはわかりませんが、少なくとも収束後も飲食店におけるコミュニケーションの場としての機能は完全に回復することは無いのではと思っています。実際「職場の飲み会」に象徴されるような、コミュニケーションの維持を建前とした形式的な集まりがなくなったことを歓迎する声は世間に溢れかえっています。逆に言えば飲食店はこれまでそういう需要に依存して甘えすぎていたとも言えるでしょう。
しかしおいしい物を一番おいしいタイミングで食べたいという気持ち、そしてそれを取り巻く気持ちの良い環境にしばし我が身を置きたいという気持ちはいつまでもなくならないはずです。そんな私たちにとってとても大事な場である飲食店がとりあえず今を乗り越え、そしてその先もずっと変わらぬ価値を提供し続けることができるよう、そして何より自分自身のために、食を思う存分楽しむことはいつだって諦めないで欲しい。とにもかくにもそれが私の願いです。
(文:イナダシュンスケ)