エッセイストとしても活躍中の鮫島さん(撮影:菊池一郎) 画像を見る

「『青天を衝け』は、脚本が本当に素晴らしく、史実をよくご研究の上、忠実に描いてくださっていて、毎回の放映を感謝しながら拝見していました」

 

穏やかに微笑むのは渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(99)。

 

渋沢栄一は、一農夫として生まれ、後に明治の元勲に並ぶ仕事をなし遂げ、「資本主義の父」としてたたえられる。冒頭の通り、今年のNHK大河ドラマでその一代記が描かれた『青天を衝け』は、毎週高視聴率を記録。ドラマは26日でラストを迎え、栄一ロスが広がりそうだが、24年に刷新される一万円札の“顔”になることも決定しているなど、一過性のブームで終わるような人物ではないのだ。

 

渋沢栄一の素顔を記憶する親族はいまや鮫島さんただひとり。

 

「とにかく優しく穏やかな人だったことを今でも覚えています。『よう来られたな』と、毎度訪問の度に榮太棲の梅ぼ志飴を、餌をねだる子雀のような口に入れてくれました。孫にも丁寧な言葉で語りかけるような人で、突然訪ねて来られた方々の身の上相談にも応じている場面も記憶に残っております」

 

『誰もが同じように幸せを感じる社会でなければならない』
『自分一人がお金を蓄えても、気分はよくない。皆が幸せであってこそ』
『お金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ』

 

「このような祖父の素朴な信条がいまも言い伝えられていますが、私は渋沢栄一の仕事への原動力は愛だったのではないか、と信じています。それも身の回りの人たちだけではなく、国家万民や社会全体を包み込む愛だったのではないかと」

 

貴重な生き証人でもある鮫島さんは、渋沢の三男で実業家渋沢正雄氏の次女であり、エッセイストとして著書を上梓。近著『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)はいまやベストセラーに。

 

「平成10年、ガングロ、ヤマンバ、ヘソ出しルックなどのユニークなファッションが流行したとき、病床の主人の慰めにもと描いたいたずら絵が思いがけなく小学館の関係者に面白がっていただいたのがきっかけです。このとき出版を打診され、戦前戦後の昭和の風俗を描いた絵本が4冊続けて出版されました」

 

と鮫島さんは当時を振り返り、絵本のご縁で、講演に呼ばれることも多くなっているという。

 

「『人間とは何か』『人生とは何か』という、私が教えを受けて有難いと思うお話をさせていただいております。社会に多くの貢献をした祖父の光で、徳のない私にも光が当たっていますが、私の学びが少しでもお役に立てますなら嬉しいと思います」

 

今年はドラマの影響もあり「おじいさまの思い出を」というインタビュー依頼が多く舞い込んだという。そこで、取材や撮影に応じていくうち、ピンと背筋の伸びた驚異的な健やかさ、戦中戦後3男を育て上げ、孫6人、ひ孫5人に恵まれた鮫島さんの人生そのものに否応なく注目が集まっていく。

 

艶やかなヘアスタイルは白髪染めを一切加えていない、と明かすとびっくりされるのだそう。著書のタイトルにもなっている通り、鮫島さんの人生はどんなときでもポジティブシンキングがモットーだ。80歳を超えたころ、巧妙な詐欺に遭ったときにも、「これも自分の人生には必要な学びであった」と前向きにとらえたという。

 

「人生は嫌なこと、逃げたい事態、つらいこと、すべてが自分の心の汚れ落としであり、反省による成長のためにあるのだという人生のしくみに気づいているからです」

 

と穏やかに微笑む鮫島さんから今回は女性自身読者のために5回に渡り、人生を振り返りながら今までに出会った師から学び得た叡智と健やかに生きる秘訣を紹介することに。

 

「私が物事を前向きにとらえられるようになったのは生来の気質からではないと思います。様々な方に導いていただき、今がありますーー」

 

※インタビュー(2)へ続く

 

(取材・文:本荘その子/撮影:菊池一郎)

 

出典元:

WEB女性自身

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