拒食症で体重が半分に…かつて食を恐れた少女が「みんなでおむすびを握る」ワークショップ主催へ
画像を見る ワークショップ参加者たちと香菜さん

 

■孤独感に苛まれ拒食症になった彼女を救ったのは一人の友達だった

 

「食べることは生きること、そして喜び。人々や食材との出会いが楽しすぎて、どこまでが仕事かわからないほど(笑)」

 

’91年3月14日、北九州市で生まれ育った菅本香菜さん。父親はサラリーマン、母親は元保育士で、4人きょうだいの長女だった。読書好きで、勉強も自らやるタイプだったというが、小学校に上がるころから、人間関係に思い悩むようになる。

 

そして、中2のときだった。

 

「香菜。ちょっと、足、太くなったんやないか?」

 

身近な知人の発した何げない言葉に、ひどく傷ついた。

 

「今なら笑い飛ばすでしょうが、13歳の私には衝撃だったんです。それまで私は痩せ形ではありましたが、『スタイルいいね』と言われるタイプでしたから、太ってしまったのなら、また痩せないと、自分はまわりから認められることがなくなるんじゃないかという強い危機感に襲われて」

 

思春期の入口にいた彼女がすがったのが、ダイエットだった。

 

「当時、中学生が読む雑誌にもダイエットの記事が載っていて、私が試したのが“午後5時以降は食べものを口にしない”というもの。それで、ほかの家族が帰宅する夕方5時前に一人でごはんを食べるようになるんです。やがてエスカレートして、食べること自体が怖くなって、母に作ってもらったお弁当も友達にあげたり。でも、そのうち、私がどんどん痩せていくから友達もちょっと引いて、もらってくれなくなって。持ち帰ったお弁当を『ごめんなさい』と泣きながら、犬にあげたりしてました」

 

しばらくしたとき、数字に固執している自分に気づく。

 

「毎日、朝昼晩と体重計に乗るようになっていました。根本には、自分に自信が持てないということがあったと思います。体重計の数字だけは裏切らないと生きる拠り所になっていて、早朝4時にガリガリの体で団地の中をただ走りまわっていたり。食べても、食べなくても、どちらも罪悪感があって。このころがいちばん苦しかったなあ」

 

両親と訪れたフードパークでのこと。食事はせずに、ドリンクバーでノンカロリーのお茶ばかり飲んでいる娘に、父親が声をかけた。

 

「ちゃんと食べんと死んでしまうよ。何か食べようや」

 

男親なりの、心配をストレートに口にした言葉だったろう。それに対して、母親が言う。

 

「香菜は、食べたくても、食べられんのよ」

 

途端に険悪なムードになってしまったのだった。

 

「仲よし夫婦の2人が、言い争っている。いい家族のはずだったのに、私のせいでケンカさせるのは申し訳なくて、生まれてきてごめんなさい、と思ったり。そのうち、158cmで45kgほどあった体重が23kgですから、半分になってしまって」

 

体にも症状が出始めていた。膝が曲げられなかったり、いつも極度に冷えを感じていたり。

 

「人間の防衛本能でしょうか、寒がっているうちに背中に毛が生えてきました。中高と、生理も止まっていました」

 

病院を訪ねたのは、見かねた保健室の看護教師の助言だった。

 

「骨と皮状態で近所の小児科へ行くと、すぐに心療内科を紹介されます。診察すると脈も心臓も弱っていて、さらにCTを撮ると脳も萎縮しているのがわかり、先生は『これはいつ死んでもおかしくない状態です』と。下った診断は拒食症で、即入院となりました」

 

まず彼女の生命を守るため、いわゆる行動制限療法が始まった。

 

「寝る、食べる、トイレは許されますが、電話もテレビも読書も一切ダメ。それで体重が0.5kg増えたら、『電話を10分だけいいですよ』という生活でした」

 

4カ月間の入院で体重も30kgまで増え、退院して学校へも戻った。やがて高校受験を迎える。

 

「入院中も許される範囲で勉強は続けていましたから、高校は、その時点の成績で入れて、自由な校風で知られる小倉南高校を受験して合格できました」

 

環境が変わることへの期待も大きかったという。しかし、体重は少し回復しても、完治ではなかったため、拒食症がぶり返して再び20kg台となり、休学へ。そして1年後に復学し、2度目の高2を送り始めたときのこと。

 

「ある一人の女の子と出会うんです。彼女はクラスの人気者でもあって。そんなコが、最初から、もう普通に接してくれたんです。これまでは誰もが腫れ物にさわるように声をかけてきたりだったのが、彼女は一緒に過ごしていたお弁当の時間も、私が食べていなくても気にしないで自分は食べている。摂食障害の女の子ではなく“菅本香菜”という存在を認めてくれた。あっ、私はこのままでいいのかなと初めて思えたんです」

 

大きな転機であり、また初めて体験する女子高生らしい生活。

 

「そのうち、彼女と一緒にいる時間をもっと増やしたい。そのためには、私も食べたほうがいいかなと素直に思えて、ヘルシーなものから食べるようになったんです」

 

共に食事の場を囲んでいいんだとの思いが、やがて私はここにいていいんだ、生きていていいんだという安心感につながっていった。

 

「卒業後に進みたい道も見えてきました。私が、病気を通じて関心を持ったのが心理学でした。というのも、食べられないけれども、食べることにものすごく執着があったんです。管理栄養士のことを調べたり、カロリーなどについてもかなり詳しくなっていました。それは、実に興味深い人間の心の奥深さだと感じてました」

 

香菜さんが選んだのは、熊本大学の総合人間学科。幾多の学問のなかから自分の進みたい道を選択できるという、拒食症を通じ多くのことに興味を持つようになった彼女にはぴったりの進路だった。

 

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