■90歳一人暮らしでも「訪問介護」足切りの現実
さらに驚くべきは、身のまわりのことが1人でできない独居の高齢者でも、訪問介護が受けられないケースがあるということだ。
NPO法人「暮らしネット・えん」(埼玉県新座市)の代表理事で、訪問介護やグループホームなどを運営する小島美里さんは、こう苦悩を明かす。
「当事業所でも、90歳の独居女性の訪問介護を受け付けられなかったことがあります。その方は、骨折したあと病院でリハビリを受け、自宅に戻ったばかりでした。買い物や掃除が困難なため当事業所にヘルパーを依頼されたのですが、女性の介護度は『要支援2』。人手不足でお断りせざるをえませんでした。ケアマネージャーは、よそもあたったそうですが、『その介護度に充当できるヘルパーはいない』と言われたと……」
ヘルパーが不足していると、家事援助よりも身体介護が必要な利用者が優先されてしまう。その結果、90歳の独居女性であろうとサービスが受けられないという、残酷な事態も生まれてしまうのだ。
一方で人口の少ない地方では、都市部とは違った問題が生じている。全国老人福祉施設協議会の副会長、小泉立志さんは「地方は、利用者の減少によって、訪問介護事業が成り立たなくなっている」と続ける。
「当法人では、岡山県下で高齢者福祉施設や障害者施設等を運営していますが、以前は山間地域で訪問介護事業も行っていました。しかし岡山の山間部では、数年前から高齢者人口が減少に転じ、常勤ヘルパーを雇うと採算が合いません。赤字が膨らんでいき、’18年に訪問介護事業は閉鎖しました」
閉鎖直前にいた利用者はたった5人。皆、同地域の別の事業者に引き継いでもらったという。ニーズがある限り、高齢者を見捨てるわけにはいかないだろう。
奈良県にある人口約2800人の十津川村で、細々と訪問介護事業を続ける社会福祉協議会の職員Aさんも、こう吐露する。
「十津川村は日本でいちばん面積の広い村なので、訪問先に行くまでに車で少なくとも1時間はかかります。1人のヘルパーが1日に何軒も回れませんから、複数の職員を雇う必要があるのですが……。そのためにはある程度の利用者がいないと採算がとれません」
昨年の十津川村の訪問介護利用者は、2年前から2割減って、約60人。昨年の基本報酬2%減も響いているなか、これ以上利用者が減少すると「今以上に赤字が膨らんで、事業の存続が危うくなる可能性もある」という。
「厚生労働省は、事業者が職員に研修を行うなどすると加算する“処遇改善加算”はアップしてくれましたが、それらの加算はすべて職員の賃金にしか充てられません。ガソリン代などの経費には充当できないので、物価高騰が続く限り経営は厳しいままなんです……」(前出・Aさん)
ここまで、介護サービスの中でも特に“介護崩壊”が進みつつある訪問介護サービスの実態を見てきた。「訪問介護サービスが受けられないなら施設に入ればよい」と思った人もいるかもしれないが、それも簡単なことではない。
「立地がよく、比較的低料金の『特別養護老人ホーム』は入居待ちの場合が少なくありません。また、低料金が売りの『有料老人ホーム』は増加しているものの、昨年は倒産も18件にのぼりました。突然、閉鎖されて入居者が取り残されるという事態も生じています」(前出・全国紙記者)
昨年10月、ドクターハウスジャルダン(東京都足立区)という住宅型有料老人ホームが突然閉鎖を発表したニュースは記憶に新しい。現場には、置き去りにされた入居者とともに、使用済みのおむつや、汚れたままの食器などが散乱していたという。
「賃金の未払いを理由に、多くのスタッフが一斉に辞めたことが倒産の原因です。じつに94人の入居者が取り残され、東京都や足立区が急ぎ受け入れ先探しに奔走しました。最終的に次の入居先が決まりましたが、渦中で体調を崩す方もいました」(足立区職員)
このケースは、短期間で手広く事業展開した民間企業の経営の甘さが原因だったと見られている。だが、昨今の物価高と人材不足による経営悪化から、同様の倒産が今後増えることが懸念されている。
このように訪問介護サービスは停止、施設も倒産となれば“介護保険あってサービスなし”の状態になるのも時間の問題だ。サービスを受けたくても生活が困窮していて受けられない。お金はあるが、サービスのキャパシティが少なく受け入れてもらえない……。これらの余波として、介護殺人や心中以上に増えることが予測されるのが、うつなどによる自死だ。
「警視庁の発表によると、年間約2万人の自殺者のうち、介護や看護疲れが原因とみられる自死が令和5年度で348件もあります。介護サービスから漏れる人が増えれば、介護うつによる自死も増加する可能性が指摘されています」(前出・全国紙記者)
こうした悲劇を生まないために、日本はどうすればよいのだろう。
「まずは、介護職員の給与を増やしていくような待遇改善が必須です。そのほか、今の日本にほとんどない家族介護者のケアも不可欠だと考えます。たとえばドイツでは、家族介護者と要介護者の間に就労関係を認め、現金給付を行うことで人材不足と離職による収入減を緩和しています。こうしたことを実現するためには、低所得者ほど負担が大きい介護保険制度ではなく、税金で財源を確保すべきでしょう」(前出・伊藤さん、以下同)
今年は、団塊の世代が全員75歳以上となる“2025年問題”にも直面している。
「国民の約5人に1人が後期高齢者になったわけですから、希望してもサービスが受けられない事態になってきています。今のままでは、すべて実費で支払える富裕層しか介護を受けられない時代になるのも時間の問題です」
介護崩壊は確実に始まっている。今のままでは介護殺人や心中、自死といった悲劇がさらに生まれるだろう。どんな人でも尊厳ある最期を迎えられるよう、国にはしっかりと対応してほしいものだ。
