わずか7カ月あまりの命運だった——。
8月31日、中道改革連合の小川淳也代表、立憲民主党の水岡俊一代表、公明党の竹谷とし子代表が国会内で会談し、3党の合流を断念したことを正式に確認。中道の事実上の分裂・解体が決定的となった。
「中道は自民党への対抗軸を目指して、今年1月に結党されましたが、2月の衆院選でいきなり大惨敗。しかも、結党を主導した大物幹部らの落選が相次ぎました。また、政策面での合意形成が不十分なまま、野党間で “大きな塊” を作ろうとしたことが “選挙互助会” などの批判を招き、古くからの支持者や地方議員の離反を起こしました。中道執行部は立民系と公明系による衆院での統一会派結成を目指す方針ですが、党内には距離を置く動きも目立ち、先行きはまったく不透明です」(政治記者)
中道の内部で、いったい何が起こっていたのか。政治ジャーナリストの鮫島浩氏は公明党の動きに注目する。
「マスコミの報道を見ていると、『公明党が引きあげて中道を潰そうとした』という見方が広まっていますが、私はちょっと違うと思っているんです」
そう前置きして鮫島氏が続ける。
「そもそも公明党は、年々得票数も議席数も激減しています。安倍政権下で35議席あった衆院も直近では24議席まで減り、比例票もピーク時の898万票から596万票(34%減)、参院選の比例票も521万票まで落ち込んでいる。一番の要因は支持母体・創価学会員の高齢化で、亡くなる方も増えて、活動量や集票力が大幅に落ちているのです。
そんななか、高市・麻生政権が誕生したことで、公明党は自公連立からの離脱に追い込まれました。与党でなくなったことで自民党からのバーター票(比例票の見返り)が期待できなくなり、長年国交相ポストを握っていたことで得られていたゼネコンなどの業界票も失った。このまま単独で選挙を戦えば、比例票は500万票を大きく下回り、『公明党の実力低下』が世間にバレてしまう。だからこそ『中道』という枠組みが必要だったわけです」
そんな公明党が目指していたのは「自民党を倒す」ことでも「政権交代」でもなかった。
「公明党が目指したのは、最初から『大連立』です。高市・麻生氏らを除いた自民党左派(石破茂・岸田文雄・森山裕・菅義偉氏ら)と、旧民主党右派、国民民主党、そして公明党による『自公民の大連立』を作るための塊として中道を立ち上げたのです。
大連立を進めるにあたり、原発や安全保障などで相容れない立憲民主党の左派(枝野幸男・辻元清美氏ら)は、大連立の交渉時に邪魔になるため切り捨てたい存在でした。公明党としては、立憲左派を除いた『2党合流』で十分だったのです。
そのために、公明党のエースである岡本三成氏や伊佐進一氏を投入し、YouTube共演などで立憲代表の小川淳也氏を徹底的に持ち上げ、彼を味方に引き込んでいきました。先週金曜日(8月28日)の段階で立憲本体が合流を拒否することは想定内であり、公明党はその後に小川氏が『立憲左派を置いて2党合流する』という英断を下すことを強く期待していました」
しかし、そのシナリオは崩壊した。
「小川氏は落選組を中心とする『2党合流したら、議員数で上回る公明党に乗っ取られる』という反対の声を抑えきれず、土壇場で決断できませんでした。公明党からすれば、『いざというときに英断できる政治家だと思っていたのに、当てが外れた。単なる凡庸な政治家だった』という評価になります。
小川氏の決断力不足で2党合流が不可能になった以上、いまの枠組みを続けても発展性はありません。公明党は、いったん統一会派などで受け皿を残しつつ、2年後の参院選(または衆参ダブル選)で単独戦による実力不足がバレるのを避けるため、今後は国民民主党や自民党左派に声をかけ、新たな政党の枠組みを作り直して、裏で影響力を確保する方針へ転換したということでしょうね」
つまり、今後は再度自民党へと “寝返る” 可能性もあるわけだ。政局に練れた公明党の手練手管といったところか。
画像ページ >【写真あり】中道改革連合の小川淳也衆院議員(他2枚)
