国内
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「小4の春、もう学校へは行けないの?」普通学級からの拒絶、強制的に養護施設へ
2009/04/16 00:00「新しい担任の先生から、『翔子ちゃんはリーダーシップがあるから、それを活かすためにやはり心障者学級のある学校へ転校してはどうでしょう』と……。要するに『これ以上、見られない』という通告だったのです。同じ学校でも、先生によって考え方や方針はさまざまでした」 新しい学年を迎えることを、母娘2人で待ちわび文房具なども新しく揃えていたさなか、思いがけない拒絶に、しばらく途方に暮れた思いで過ごした。「学校へ -
「翔子さんが担った『ビリの役目』」算数はできなくても、みんなを優しく…
2009/04/15 00:00「知力も体力もひ弱ではありましたが、納得できないこともありました。翔子だけがずっと私と手をつないで登校するように、と言われたり、翔子は2歳からYMCAの水泳教室も通っていて、問題なく泳げるにも関わらず、プール学習も私だけが付き添わなくてはならない。しかも皆と違う色の帽子をかぶせること、両手に浮き輪をつけることなどをいわれました。理由を聞くと、『障害者が事故を起こすことは許されない』という理由でした -
「翔子さん5歳、書道教室を始める」障害者として括られることなく…
2009/04/14 00:00翔子さんが5歳のとき、同じ年ごろの子供4人を集めてスタートした『久が原書道教室』。それがいまや170人の大所帯になった。全日本書道連盟主催のコンクールでも3年連続のトップ賞獲得者を出すほど輝かしい実績を持つまでになった教室は、障害を持つ生徒も常に1割は在籍している。学生時代から書道『学書院』の故柳田泰雲先生に師事し、九段を持つ師範の腕前であった泰子さん。教えられることといえばやはり書道である。『お -
「地獄めぐりの日々」 藁をもすがる思いで、宗教団体に寄付をしたことも…
2009/04/13 00:00育児がはじまってからも苦しみは続いた。泰子さんがいうところの“地獄めぐり”は別の方向へ向かっていた。「『奇跡が起こらないことが奇跡』といってもいいくらい、願かけをしたのです」宗教に多額の寄付をしてしまったり、翔子さんを背負い線香とお経の本を持ちながらお地蔵様めぐりをし、実際に翔子さんのお地蔵を建ててしまったことも。「結局、2人で死ぬこともできず、藁にもすがる思いで、『病気平癒』を掲げている宗教団体 -
「ダウン症の子どもを授かる」クリスチャンの父は祈り、母は現実への絶望から…
2009/04/12 00:00「仮死状態で生まれた翔子は敗血症を起こしており、あと1日でも手術が遅れていたら生きることができなかったそうです。しかも、出産後に担当医は『ダウン症で、敗血症だから交換輸血をしなければ助かりません。なにもしなければ命の灯は消えてしまいますが、どうしますか?』と冷静に問われたそうです。要するに、ダウン症であるから助けるかどうかは、親の判断に任せるということ。そのとき、私は手術後の麻酔で眠っていたので夫 -
「三度消えかかった命の灯」喜びに満ちた待望の子育てがはじまるはずだった
2009/04/11 00:00翔子さんが生まれたのは昭和60年6月12日。「妊娠がわかってもホルモン注射を続け、心音がはっきりし、『もう大丈夫でしょう』と医師から言われたとき、足が震えるほどの喜びでいっぱいでした。42歳で私は子供を産むのだと、有頂天になっていました。とにかくあの頃の私は傲慢だったのです」夫の裕さんとは能を通じて知り合い、結ばれた。出会ったのは泰子さんが30代の初めごろ。「独身時代は、書だけではなく、短歌やお能 -
「生まれつき染色体が一本多い」ダウン症は誤解と偏見に満ちた忌むべき存在だった
2009/04/10 00:00妊娠中のCT検査などでは、障害が判明しなかったため、心の準備などまったくなく、思いがけない宣告だった。この時点で泰子さんは、ダウン症に対する正しい知識は皆無だったという。「産後、診断を受けてからは、すっかり視力が落ちてしまうほど、ダウン症について書かれた書物に目を通しました」ダウン症候群は、通常23対合計46本ある染色体が、生まれつき1本多い47本で(21番染色体が偶発的に3本ある)、先天的障害で -
「知能が全くありません」 終身刑の宣告、そして苦難を乗り越えて
2009/04/09 00:00「翔子がダウン症であると告げられたときは、まるで終身刑の宣告を受けたような衝撃がありました」大田区久が原で書道教室を切り盛りする多忙な日々の中、泰子さんは自宅兼教室に招いてくれた。この日は個展開催中なので翔子さんは留守。「こんなにたくさんの人が私の作品を見に来てくれるなんて、嬉しい」といい、毎朝早起きをして、自転車を漕いで会場へ駆けつけ閉館まで来訪者の対応に当たっているという。 記者が、その個展会 -
「龍翔鳳舞」 龍の先端から見事な尾が飛び出し、凰からは悠然とした羽が生えた
2009/04/08 00:00銀座書廊にて初の個展を開き、日比谷帝国ホテルでの祝賀会で初めての席上揮毫を行ったのは翔子さんが20歳のとき。そして、22歳では東京芸術劇場の創作バレエで千人の観客を前にし、5メートルの大壁紙に演目『まくべす』を、ほうきのような大筆を悠々と動かし書ききった。上野の瑞輪寺においては、長さ7メートル40センチの『念彼観音力』を約50人の僧侶たちの前で粛々と披露してみせた。ハラハラ見守る泰子さんの心配をよ