「スーちゃん」の愛称でファンに愛された女優の田中好子さんが、乳がんで亡くなったのは2011年4月21日(享年55)。一周忌を前に、夫で『財団法人 夏目雅子ひまわり基金』代表理事の小達一雄さん(57)が、スーちゃんの”最後の病室”の日々を語ってくれた。

「家内とは、妹の夏目雅子(享年27)との縁で知り合い、1991年5月に結婚しました。その翌年、乳がんが見つかって。その後も何度か再発しましたが、いずれも早期発見で。治療を受けながら芸能活動を続けていました」

そんな彼女が十二指腸潰瘍で入院したのが2010年10月。手術後2011年1月中旬にいったん退院するも、手術をした傷口から膿が止まらず再入院。1週間後担当医から「がんの細胞組織が急激に増殖する”ラッシュ”状態で、このままでは夏まで持つか」と聞かされた小達さんは苦渋の決断の末、東日本大震災の3日後の3月14日に彼女へ告知した。

「そうしたら、彼女はワァーッと泣き出して……。『かずさん、ごめんね。私は、これまでお芝居で何度も死んできた。だから、いま言われたことがピンとこないけど、かずさん、かずさんは大丈夫?……つらいことを言わせてしまって本当にごめんなさい、ごめんなさいね』と、僕のことを心配して繰り返すわけ。彼女は、本当に天使みたいな人でしたから」

彼女は被災地の悲惨な状況をテレビで見ながら、「なんで先のない私が生きていて、将来ある人たちが亡くならなきゃいけないの」と話していたという。また、仕事仲間が被災地に慰問やボランティアに行くのを見て、「私も行きたい。行っていいか、先生に聞いて」と、小達さんに頼んだことも。葬儀・告別式(4月25日)で紹介された、被災者へ向けての”ラストメッセージ”を彼女が吹き込んだのは3月29日だった。

スーちゃんの遺志を実現するため小達さんは、今月8日に「田中好子”いつもいっしょだよ”基金」を設立。最初の活動として、東日本大震災で家族を亡くした遺族を慰めるため「田中好子”いつもいっしょだよ”モニュメント」を1千個制作。希望する遺族に無償で提供することに決めた。

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