博多座の昼公演がはねてすぐ、中村七之助へのインタビューは始まった。挨拶もそこそこに、エネルギーの塊のようなイメージの人、亡き父・中村勘三郎さんの話を聞いた。
「本当に今おっしゃったような、エネルギーの塊みたいな人で。みんなが思ってくれているような人だと思いますよ。ちっちゃなときからずっとそばで見ていて『うわ、この人カッコイイなあ』って思わせてくれる、ぼくにとってはウルトラマンみたいな存在でした」
いかにも勘三郎さんらしいエピソードは? と尋ねると……。
「父親ががんになって、明後日から手術をするっていうときに、どこかの記者とカメラマンが家の前で待ち構えていたことがありました。こんなときに取材?って、ぼくの心情は穏やかじゃなかったんですが、父は『ああ、取材に来てくれたの? じゃあ、ちょっとこれを撮影していってよ』ってその人たちを家に招いて、ファンの人たちが作ってくれた千羽鶴を見せたんです」
すみません! 実はその取材は『女性自身』です。その節はたいへんお世話になりました。実に豪快で懐の深い方で……。
「ただ、自由で、たいへん遊んでいて奔放で、っていうイメージを持たれているかもしれませんが、すごく努力の人でした。どれだけ飲んで帰っても、当たり前のように芝居のビデオを見て勉強をしていたり。たとえばトイレに起きた真夜中に父のそんな姿を目にすると、この人にはかなわないなって思ったりもして」
その父が亡くなったときは、悲しいという感情にふたをして平常心に努めた。でも続くようにして市川團十郎さんが亡くなり、「心が折れそうになった」という。
「悲しくて、悲しくて、芝居をやっている意味があるのかっていうくらいに思ったんですけど、2人とも芝居を愛し通した人たちだったので『そういうことじゃねえぞ。芝居しろ!』って言うだろうな、絶対、って。父に言われていちばんうれしかったのは芝居を『よかったよ』って言われることだったので、今は芝居を一生懸命にやるだけです」