「初めて松本と浜田(当時は『松本・浜田』)の漫才を見た瞬間『あっ、まだこんなやつがいたんや!』と思いました。無愛想で不良のような顔と態度の2人でしたけれど、ネタの運びやしゃべり方の間、手振り身振りの表現力、そして、何よりも発想の突拍子さ……。どれもめっちゃ新鮮で、驚きでしたね」

 こう話すのは吉本興業株式会社の大崎洋社長(59)だ。大崎社長は’53年、大阪府堺市生まれ。関西大学社会学部卒業後の’78年、吉本興業に入社。’09年4月には代表取締役社長に就任した。そんな大崎社長がダウンタウンの2人と出会ったのは’82年、『吉本総合芸能学院(NSC)』が開校し、大崎社長が同学院の担当になったとき。ダウンタウンはNSCの1期生だった。

 しかし、ダウンタウンは当初まったく売れず、2人は会社の誰からも相手にされなかった。そこで、大崎社長が個人的にマネージャーを引き受けることになるのだが、仕事はなくスケジュールは真っ白だった。

「真っ白なスケジュールを渡してもしょうがないので『○月×日△時から大崎とコント打ち合わせ』などと3人だけのスケジュールを書き込んで彼らに渡しました。それでも2人は『これは仕事と違いますやん。大崎さんと打ち合わせしているだけですやん』とは言わずに『ありがとうございます』と受け取って、時間どおりにやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んだ」

 そうした日々の蓄積が、ブレイクして今日に至るまで、息切れもせずに長年にわたりお笑い界に君臨する2人を作り上げる結果となる。大崎社長は『ダウンタウン』の2人と出会ったことで、本当の意味での仕事の楽しさや、ともに育っていく楽しさ、喜びを知ることができたという。

 また、『ダウンタウン』との数多いエピソードのなかから、思い出深いものを大崎社長が語ってくれた。

「ある日、松本とスポーツジムに行きました。そこに25メートルのプールがあって、2人でそこに入ったとき、ふっと思ったんです。『今は一緒に過ごしているけど、売れるようになったら僕の言うことなんか聞いてくれなくなるなぁ』『でも、松本が間違った方向へ進もうとしていたら、絶対にとめなければいけない』と。そう思って松本に『25メートル1回も息継ぎせずに潜水したら、将来俺の言うことを聞いてくれるか?』と言うと、松本は『ええ、いいですよ』と」

 実は元水泳部で潜水はお手のものだった大崎社長。泳ぎきった大崎社長は松本にそのことを約束させることに成功。この日の約束は、後に果たされることとなる。

「ある出来事があって、松本が頑として首を縦に振らなかったときに『あのときのプールの約束、今使うわ』と言って。松本は『えーっ、こんなときにですか……』と言いながら『わかりました』と苦笑していましたね(笑)」

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