名前を検索すると予測変換には「西野亮廣 嫌い」の文字――過激な発言でブログやツイッターはたびたび炎上。レギュラー番組『はねるのトびら』が昨年終了してからはテレビで見かけなくなったような……。十数年前テレビに登場し始めたとき、ダウンタウン、ナインティナインに続く、お笑いスター誕生の空気さえあったのに。そんな西野亮廣(33)の本音を直撃した。

「好き嫌いをハッキリ言うようになって、誤解されることも多々ありますね。でも、思ったことは全部言っていこうと思って」(西野・以下同)

「ひな壇には座らない」などの発言やネット炎上など、西野の過激な言動。聞いてみると、本人なりのポリシーがあるようで。

「ツイッターなどのSNSでつっかかられたとき、タレントさんは普通、上手に返すじゃないですか。でも、僕はそれが逆に大人げないなと思ってしまう。だって完全に後攻めだし、言い負かすコメントを選んでるし、コメント返すまでに十分時間があるし、勝ち戦。僕は『ふざけんなバーカ』って瞬発力の感情で返して、なんなら中学生とかに言い負かされてるほうが、面白いよなって思うんです。そのほうが器量大きいよな、人間臭いよなって」

 ネット炎上も否定的に捉えていない。ライブで話すネタになってオイシイ、とすら。

「ただ、自分のルールとしては“かみつくときは先輩”。負け戦、自分が損する喧嘩やったらしていいやろって。だから、後輩にはかみつかない。勝つことが目的ではないんです。そこで嫌われようが、あまり構いませんね。人に好かれるような人間ならよかったですけど、全員が全員に好かれる才能はないしなぁ……」

 19歳でNSC(吉本総合芸能学院)に入学し、キングコング結成。1本目に作ったネタでABCお笑い新人グランプリの決勝に進出。NSCに在学して半年、2本目のネタでNHK上方漫才コンテストの最優秀賞を取った。

「20歳で『はねるのトびら』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢されました。すぐに世には出られたけれど、置かれている状況に自分が全くついていけてなかった。20代前半は、テレビに出て、舞台もあり、新しいネタを週に何本もおろさなきゃいけなくてキツかったですね。30分前にネタがなくて、慌てて作ったこともありましたが、大して面白くない。当然10年も練り上げてきたネタを披露する先輩たちに負けてたし。そこでフラストレーションがたまって、とにかくとげとげしかった。こんなに嫌なことばかりなら仕事辞めたいなって思うようになっていました」

 はたからは順風満帆かのように見えていたが、たまっていたストレス。それが爆発したのか、23歳のときに相方・梶原雄太が失踪した。

「最初の1週間は連絡が取れずに、『梶原が死んでいるんじゃないか』と心配しましたが、生存確認ができて。腹を立てて、連絡を取らずに悶々とし続けて2カ月くらいたったとき、元彼女に突然『なんで梶原くんの結婚式来なかったの?』って言われてビックリ(笑)。しかもバイクの免許を取得した情報も入ってきて、『アイツ、春休み満喫してるやん』って思ったら、笑っちゃって、梶原を許せたんです」

 梶原失踪による3カ月の活動休止から2年、25歳で『はねトび』がゴールデンに昇格。

「僕は『はねトび』をゴールデンに上げたら、スターになれると思ってたんですよ。でも、スターになってなかった。人生の瞬間最大風速が吹いているのに、これでスターになっていないってことは、俺はこの先スターになれないなと思い知らされました。だったら別ルートで生きていこうと。とにかく何かものを作ろうと創作活動を始めました」

 タモリにアドバイスされ、絵を描き始めた西野。絵本は既に3冊出版している。今年2月にはNYでも絵本原画展を開いた。絵本のみならず、小説、舞台の脚本も手がける西野。これからどこへ向かうのか。

「自分が前に出なくてもいいんですよ。もし出たかったら、『ひな壇に座らない』とか言わなかったと思うんです。ひな壇を否定していると受け取られがちですが、自分はひな壇に座る才能がないから、降参した。逃げたってことです。完成するまで誰の顔を見なくていいし、突き抜けやすいから創作物は好きですね。僕がやっていることで『アイツ鼻につく』『西野、芸人のくせに絵とか描いて、様子がおかしいんか?』って、むしろ言われたい。そのとき自分がいちばんドキドキするものに手をつけるようにしています。『俺はウォルト・ディズニーになる』と明言しているので、大きな目標としてはディズニーで映画をやりたいですね」

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