「高校時代にたまたま手に取った科学雑誌に再生医療の記事が載っていて『これは社会に貢献できる!』と興味を持ったそうです」(高校時代の同級生)
『STAP細胞』産みの親として一躍脚光を浴びている小保方晴子さん(30)。科学雑誌『ネイチャー』に論文を送った際「あなたは過去何百年にもわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」と突き返されたにもかかわらず、信念を貫いたことが世紀の大発見につながったのだが、その原点は高校時代にさかのぼるという。
「1年生のときにはすでに進路を決めていたようで、僕が『どこかに進学して有名企業に就職できたらいいよ』と言ったら『そんな人生であなたはいいの?』と言われてしまいました(笑)。あだ名は“晴子女王”で、学校内でも有名でした。高校では男子バレーボール部のマネージャーをしていましたが、成績は学年トップ。みんな東大を受験するかと思っていましたが、早稲田大学に入学したので意外でしたね」(前出・高校時代の同級生)
早大理工学部ではラクロス部に所属し、楽しいキャンパスライフを送っていたが、その一方で研究に没頭することも忘れなかった。彼女は東京湾の微生物についての研究をしていたが、当時の指導教官から、「今ならまだ専攻を変えられる。本当にしたいことは何だ?」と聞かれ、「再生医療の研究がしたい。特に子宮を病気でなくし、子供を産めなくなった女性を救いたいです!」と再生医療への道を歩み始めたのだ。
その言葉どおり博士課程で再生医療の分野に移った彼女は、ハーバード大学留学時に今回の『STAP細胞』に関する着想を得たという。11年には理化学研究所に着任すると、「研究者の仕事を世のため人のため。一生懸命頑張っていれば、いつかきっと誰かが評価してくれる」という思いで、ひたすら結果が出る日を信じ続けた。
周囲から『間違っている』と言われ、権威ある雑誌から酷評されながらも、自らの道を進むのは決して容易なことではない。ときには折れそうになりながらも研究を続けてこられたのは、かつて学生時代に抱いた“人の役に立ちたい”という思いが根底にあったのかもしれない。