連載第24回となる『中山秀征の語り合いたい人』。今回のゲストは、常に漫画業界の第一線を走り続け、多くの人々を魅了するストーリーを紡ぎ出す浦沢直樹(54)。女子スポーツもの、ミステリー、SF、サスペンスなど、作風は作品によってまったく違う。1億冊以上を売った天才漫画家の人物像に迫る!
中山「ウチは一家そろって浦沢作品ファンなんです!先生は多くの作品を手掛けていますが、そもそも漫画を描こうと思ったきっかけは?」
浦沢「4歳で『ジャングル大帝』と『鉄腕アトム』を買い与えられて、夢中になったんですよ。手塚治虫先生のサインをまねするくらい手塚作品好きでした。オリジナルのストーリーを考えて漫画を描き始めたのが、小学校2年生。雨の日に兄が事故で亡くなり、あまりの貧しさにつらくなり、弟も雨の日に自殺するという話です」
中山「それはずいぶん重たい内容ですね……」
浦沢「フランス映画や日曜洋画劇場などで暗い映画を見ていて、作品というものは暗いものだと思い込んでいたんですよ(笑)。現存しているものは、小3のときにノート1冊分描いた『太古の山脈』という漫画。大金持ちの主人公が家出をして、山中にある洞窟に落っこちちゃう。そこには鉱山があって、ギャング団が人を奴隷のように酷使している。主人公が奮起してギャング団と戦うんですけど、みんなを逃がしたあとに、主人公は死んでしまうんですね」
中山「普通の小学生が考えるなら、ヒーローが悪いやつらを蹴散らして、めでたしめでたしっていう話じゃないですか。ハッピーエンドじゃないんですね(笑)。描いた作品は誰かに見せていたんですか?」
浦沢「いえ、あまり見せなかったんですよ。僕の周りの人に『マンガ君』って思われるのが嫌だったんです。当時はまだオタクという言葉もなかったけど、やっぱりスポーツマンのほうがモテますよね。だから、僕はマンガ君であることを必死で隠してたんですけど、『浦沢の漫画はすごい』って噂になって、みんなに知られてしまったんです」
中山「『こんなにうまく描けるんだぞ。すげーだろ!』というのは嫌だったんですね。人に見せて、評価してほしくはなかった?」
浦沢「ものすごくいやらしい感じになるんですけど、同級生たちは漫画をわかっていないと思ってたんです。彼らにわかるような漫画を僕は描いていないんだっていう自負もあった(笑)。それに、子どもながらに親も社会もみんな『漫画をわかっていない』とも思っていたんです。僕自身だけの到達点としてとらえていたので、他者からの評価も共感も求めていなかった。好きな作家のタッチや表現方法などを会得して、自分がうまく描けたら、それでよかったんですよ」