隔週連載《中山秀征の語り合いたい人》。今回は、舞台で経験を積み重ね、映画やドラマで活躍し始めた個性派実力俳優・ムロツヨシ(38)。中山も「気になっていた」というネクストブレーク俳優がじっくりと語る。
中山「改めてムロさんの経歴を拝見したのですが、東京理科大に通っていたんですよね?」
ムロ「そうなんです。僕は第2次ベビーブーム世代の子どもなので、『偏差値の高い大学に行き、いい会社に就職する』という価値観で育ちました。僕も当然良い大学に入ろうと勉強した。でも、いざ大学に入ってみたら、やりたいことがあるから理科大に入った同級生が周りにいたんです。僕はただ偏差値が高いから理科大を選んだ。でも、やりたいことが明確で目的意識が高いやつのほうがカッコイイなと思ったんです」
中山「大学はゴールじゃないと気付いたんだ」
ムロ「あらためてやりたいことを考えだした翌日から、大学に行くのをやめてしまいました。やりたいことがない自分が恥ずかしいと、極端にイヤになっちゃいまして」
中山「ターニングポイントはあったの?」
ムロ「僕は中学生のころから深津絵里さんの大ファンで。深津さんが出演する舞台『陽だまりの樹』を見に行ったんです。中井貴一さんや段田安則さんの演技を見て『あ。俺、芝居やりたい』と直感で思った。自分の気持ちを確認するために、翌日も同じ舞台を見に行きました。役者になろうと動きだしたので、大学に通ったのはたったの3週間くらいだったんです」
中山「せっかく勉強して入った大学なのに、ご両親にはどう説明したんですか?」
ムロ「実は、僕が4歳のときに両親が離婚して、僕は父方の祖父母に育てられたんです。大学に入ったときは、『大したもんだ』と親戚みんなが喜んでくれたのですが、父と祖母に『大学をやめたい』と告げたときには、かなり落胆させてしまいました。祖母は『1年浪人させて、いい大学やったのに』と怒ったり泣いたり。でも、『蛙の子は蛙。お父さんも役者を目指して東京に行ったことがある』と聞かされて、驚きました。父は伊豆の人間で、ずっと大工として職人かたぎで生きてきたと思っていたので」
中山「お父さまの反応は?」
ムロ「ガッカリはしていました。でも、言いだしたら変えない息子だとわかっていたみたいです。父は仕事に誇りを持って一生懸命取り組んでいたので、僕はずっと尊敬していました。離れて暮らした時期もあったぶん、僕たち父子はきちんと向き合って話してきたんですよね」