「糖尿病は父の持病でした。’04年8月に原因不明の難病・多発性硬化症で倒れたあと、検査をするなかで、多発性硬化症とともに糖尿病であることがわかったんです。でも血糖値はそれほど高いレベルではなかったので、主だった治療はしていませんでした」
そう語るのは、落語家・林家こん平さん(72)の次女で『一般社団法人 林家こん平事務所』代表を務める笠井咲さん(47)だ。父の介護を家族の中心となって続けてきた彼女が、2年前の生命の危機を振り返る。
「糖尿病はどんどん悪化していて、目に見えてわかったのは左足の指が壊死でした。これについては病院の皮膚科で治療をしていました。そんなある日、父の呼吸が荒くなって、何もできない状態になった。そこで大学病院へ連れていって診てもらいました。先生は『糖尿病の人は傷口からばい菌が入ると大ごとになることがあります。お父さんの場合は、おそらく足の傷口から菌が入って壊死が始まった』。そして『足の指を壊死させた菌が心臓まで来ています。これが脳に回ったら命取りです』とおっしゃって、そのままCCU(心疾患集中治療室)に緊急入院しました」
2013年春の事だった。だが病状は予断を許さないものだった。
「入院後は、心臓の菌を除去するため24時間体制で治療をしていただきましたが、6月23日、突然心肺停止に。このときは電気ショックで奇跡的に命をとりとめました。ですが、心臓が衰弱した原因は足からの細菌感染でしたので、先生は『指を切断して命を守りましょう』とおっしゃって、壊死した左足の指を3本切除しました。その後、先生からは『お父さんの命を守るために膝から下を切断せざるをえません』とも言われて……」
だが咲さんは、どうしても下肢切断に同意できなかった。彼女はセカンドオピニオンを求めて奔走した。
「その結果、以前一度だけお会いした先生に状況を説明したところ、快くセカンドオピニオンを引き受けてくださった。しかも、先生はカルテをご覧になって『現状では切断しなくて大丈夫です』と言ってくださったんです」
このセカンドオピニオンを入院先の担当医も受けいれてくれた。そして心肺停止に陥った半年後の13年10月、ようやく退院が叶った。
「退院してからも父は、昨年の春ごろまでは寝たきりの状態で。日々の排泄や入浴の介助もたいへんでしたし、通院の際に車椅子に乗せたりするのも女の私には大仕事でした。そんな父に4月ごろから、徐々にですけど回復の兆しが見えてきた。支えてもらって立ったり、座ったり、数歩ですけど歩けるようになったんですね。父が経験した〝リハビリ〟のなかで、いちばん大きな成果をもたらしたのは『都電落語会』でした」
なんとか父を落語家として復帰させたい――そんな思いで、咲さんが中心となって昨年8月から始めたのが『都電落語会』だ。
「落語会は毎月1回行っています。父は、毎回お客様にひと言、ふた言ご挨拶したあと『一、二、三、チャラ~ン』と都電の出発と落語会開催の合図をしますが、1回目の落語会を境に、父の病状は劇的に回復したんです。トイレにも自分で行けるようになったし、要介護度も4から3になりました。やはり、自分が出るべき舞台ができたことで『もう一度芸人として頑張ってみよう』という気持ちになれたんだと思います。実際、舞台に登場した瞬間、父は、病人から芸人になりますからね」
来月8月22日の『都電落語会』は1周年記念となる。この1周年記念の舞台でこん平さんは『寿限無』に挑戦するべく、現在リハビリに励んでいる。