隔週連載〈中山秀征の語り合いたい人〉、今回のゲストは、デビュー35周年を迎えた近藤真彦(51)。たのきん時代から憧れていたという中山と初めて、じっくり語り合った。
中山秀征「35周年おめでとうございます」
近藤真彦「やっぱり長いよね。僕はあっという間の35年だったとは言えない」
中山「『3年B組金八先生』(TBS系)のとき、僕は小学生でした」
近藤「やめてよ(笑)。年齢も仕事してる年数もそんなに変わらないでしょ。仕事の量で言ったらヒデちゃんのほうがやってるもん」
中山「いやいや、マッチさんは永遠の憧れですから。当時はとくに男の子のファンが多かったという印象がありますね」
近藤「コンサートが終わると、近所のヤンチャそうなお兄さんたちが出口で待っていて。僕が近くの駅に行くまで、そのお兄さんたちが見守ってくれたこともありました」
中山「男が男に惚れるって、当時では非常に珍しかったです。ライフスタイルも含めて憧れてしまうんです。デビュー当時は駆け抜ける10代でしたが、マッチさんというと、どうしてもヤンチャなイメージがあります(笑)」
近藤「たのきんトリオの3人の中だと、たぶん僕がいちばん言うことを聞いてたと思います(笑)。当時からわりと何でもいわれたとおりにやってた。『スニーカーぶる~す』から始まって、『ヨコハマ・チーク』『ブルージーンズメモリー』ときて、伊集院静さん(作詞名義は伊達歩)の『ギンギラギンにさりげなく』で、子供からおじいちゃんまで僕のことを知ってくれたほどの大ヒットを出して。その次の曲が『情熱☆熱風せれなーで』。これは、すごく冒険だったんですよ」
中山「たしかに、ちょっと大人の曲ですよね」
近藤「そこも僕は言うことを聞いて『はい』と。本当は、これじゃまずいんじゃないの?という思いがあったんだけど、周りの大人はこれでいいんだよって。すると、今でもコアなファンの人たちにとって、裏名曲ナンバーワンになっているんですよ」
中山「流れを作っていったんですね。のちに大人になって『愚か者』も出てきます」
近藤「この曲も伊集院さんのお世話になっているんですよ。僕の節目には必ず登場する人で、35周年のアルバムもすべて伊集院さんの曲で構成しています」
中山「『愚か者』を歌われていたのは22歳。めちゃくちゃ若いですよね」
近藤「その年で歌ってたと思うとゾッとします(笑)。当時の僕なりに歌詞を理解して歌っているつもりでいるんです。ところが今回50歳になって、最高にいい曲だなとかみしめて歌えるようになった。あと5年たっても、また違う『愚か者』が歌えそうなほど奥が深いですね」