「何しろ27年も前に出版した本ですからね。それが新たに朝ドラとしてよみがえるなんて!長生きはしてみるものですね」

 埼玉県の自宅で取材に応じてくれた古川智映子さん(83)は、9月28日からスタートする朝の連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)の原案本となる『小説土佐堀川』(潮出版)の著者だ。

 物語のヒロイン・今井あさは、実存した女性実業家・広岡浅子がモデル。何の不自由もなく育った三井家の令嬢が、不幸にも“ダメ夫”のもとに嫁ぐ。だが、そこで浅子は一念発起。炭鉱、銀行と次々と事業を成功させていった。浅子は“教育者”としての一面も持ち、初の女子大学設立や、また大同生命保険の創設に尽力した。

 江戸末期から明治、大正時代を生き、女性のために新しい時代を切り開いていった広岡浅子。とはいえ、ほとんどの人はその名前すら聞いたことがないはず。

「日本で浅子のことを調べたのは、私が最初かもしれません。資料が乏しくて、経歴を追うだけでも大変苦労しました。資料と取材によって限りなくノンフィクションに近いかたちに書きたかったけれど、どうしても断片的な史実をつなぎ合わせるためにかなりの“想像力”が必要でした」

 ではなぜ歴史に埋もれていた人物が、朝ドラのヒロインで描かれることになったのか。古川さんは東京女子大学文学部卒業後、国立国語研究所に数年在職し、都内の私立高校の国語教師になったころ、分厚い『大日本女性人名辞書』のなかの、「運命の14行」に出合う。

《実業家。三井高保の妹。嘉永二年京都油小路出水に生れ、十七歳で大阪の加島屋広岡信五郎に嫁いだ》
《家運傾かんとするや自ら立って難局に当り、(中略)鉱山の経営に当った時など、時に坑夫等と起臥を共にし、常にピストルを携行したといふ》

 この文章(抜粋)がすべてのきっかけだった。

「『ピストル』という文字に一気に浅子に引きつけられました。昔の炭鉱ですから中には荒くれ者もいたでしょう。それでも、護身用のピストルを片手に“雇い主”として彼らを取り仕切っていたわけです。すごい女傑です」

 古川さんは、細い糸を手繰るように、浅子の資料を集め始めた。その後、浅子の足跡を丹念にたどっていき、出版のあてもなかったのに、浅子のことを5年以上調べ続けた。そして、その執念は実り、原稿用紙800枚近くを書き上げる。

「目的は本を出すことだけではなかったと思います。私はこれまでずっと浅子の座右の銘でもある『九転十起』という生き方に勇気づけられてきました。七転び八起きより2回も多いなんてスゴイでしょう。浅子は、当時、死病と恐れられた肺病にも、乳がんにも打ち勝ちました。そして還暦を過ぎても女性のために社会を変えようと走り続けた。正直、かなわないなと思います」

 1988年、56歳のとき、ようやく広岡浅子の人生を一冊の本として出版することができた。『小説土佐堀川』は、間もなくラジオドラマとなり、八千草薫主演で舞台化もされ、ヒット作品となった。

 それから27年、また時代がその“波瀾万丈の人生”に興味を示したようだ。NHKから「この小説をドラマの原案に使わせてください」と、突然の連絡があったのだ。

「いろいろな意味で、浅子ほど“遺産”の多い女性も珍しいのではないでしょうか。いくら現代の女性が強くなったといっても、それは社会の意識が変わったおかげ。最初は、浅子のような女性が、壁を一つひとつ、体当たりで“押し出してきた”のだと思います。ちなみにドラマの制作発表があった1月14日は“偶然にも”広岡浅子の命日でした。これも浅子のパワーでしょうか」

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