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テレビプロデューサーで演出家の石井ふく子さん(89)。舞台を中心に活躍し、紫綬褒章も受賞した女優・奈良岡朋子さん(86)。戦後を代表する映画女優のひとり、若尾文子さん(82)。きらびやかな活躍を歴史に刻んで3人は、実は同じ都内マンションで暮らす“友達同士”。80歳を超えても今も現役の3人が、ひとつ屋根の下での“女子会トーク”を本誌に初公開してくれた。

 

奈良岡朋子(以下=奈良岡)石井さんと私は、いま住んでいるマンションができてすぐ入りましたけど、もう何年になります?

 

石井ふく子(以下=石井)11~12年ですね。最初は奈良岡さんが新聞の折り込み広告で見つけて「これ、いいんじゃない」とおっしゃったので、私、見に行きました。

 

奈良岡 石井さんはすぐに行動に移す方だから。モデルハウスを見に行って「私、契約してきました」と言うから「えーっ」って(笑)。私も見に行ったら、建てる前だからオプションがきくし、いちばんよかったのは24時間有人で管理がしっかりしていた。それで、移ってみたら、まあ便利で。病院も、郵便局も、区役所も何もかも近くて。若尾さんが移られたのは何年前です?

 

若尾文子(以下=若尾)3年前です。黒川(夫で建築家の黒川紀章氏=2007年逝去)が亡くなったあと、住んでいたマンションが独りで暮らすには広すぎたのと、老朽化が激しかったものですから。どこかへ移らなきゃと思っていろいろ探しているときにたどり着いたのが、お二人がお住まいのマンションでした。

 

石井 だから、すごいご縁だと思ってびっくりしました。

 

奈良岡 それで、3人とも独り暮らしだから、お正月は石井さんのお宅でお雑煮をいただくことになって(笑)。

 

若尾 お雑煮だけでなく、石井さんがお台所に立っていろいろ作ってくださるから困ってしまうんです。

 

奈良岡 石井さんはお料理が上手だから。

 

若尾 お雑煮のおだしの味なんか、すごくいいですね。今年のお正月もおせち料理やお雑煮をいただきながらお話をさせていただきましたけれど――。

 

奈良岡 世間話から政治の話までいろいろと。

 

若尾 上戸(彩)さんが赤ちゃんを連れていらしたという話は印象に残りましたね。

 

奈良岡 私は本当に不規則な生活をしていて、東京にいるときは「ものを食べる」という意欲がない人なの。そんな私を心配して、石井さんは毎日ドアのノブにおにぎりや、白いご飯を下げておいてくださる。だから、私は石井さんに養ってもらっているような感じで。毎年、秋になるといろんな方がお米を送ってくださるんですが、それは、そのまま私の“おにぎり代”として石井家に持っていっていただいています(笑)。でも、同じ屋根の下で暮しているけれど、普段はほとんど会わないわね。若尾さんとはお正月以来でしょ?

 

若尾 そうです。たまにばったり会って「ご無沙汰しています。お元気ですか?」という感じですね(笑)。

 

奈良岡 私は地方公演が多いから。石井さんとは、たまに電話でお話ししますけど。でも、それがいいのね。お互い干渉しあわないのが。

 

石井 お二人とは仕事を通じて知り合いましたけど、仕事では遠慮なく言いたいことを言わせいただきました(笑)。ですから、お二人はあまりかまわずお付き合いできる方。私は、遠慮しいしい付き合うなら付き合わないほうがいいと思っていますから。

 

奈良岡 石井さんは非常に親しい友人だし、若尾さんも古くから知っているし、私にとってお二人は“友達”。

 

若尾 私にとっては、友達というより、どちらかというと“師”ですね。奈良岡さんには、私が初めて舞台をやるときに、舞台の心得などいろいろ教えていただきましたし、私がテレビに出るひとつのきっかけを作ってくださったのが石井さんでした。

 

石井 『クラクラ日記』(1968年)でしたね。

 

若尾 それが、私のテレビデビュー作でした。

 

石井 奈良岡さんとも本当に長いお付き合いで(笑)。

 

奈良岡 もうかれこれ半世紀ですね。知り合ったころは、テレビドラマはすべて生放送で。私は“生”でずいぶん鍛えられました。

 

交友、実に半世紀。大物女優とプロデューサー3人の、ひとつ屋根の下の“女子会トーク”は、この後も、まだまだ続いた――。

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