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「鎭子さんは、晩年になってからも、私のファッションショーにいらしてくださっていました。鎭子さんは、用事を“電話ですませる”ことはしません。どんなに忙しくても必ず会って、顔を見ながら話しましょうという方でした。まあ、話の内容は、最近面白い人に会ったとか、たわいもない世間話ばかり(笑)」

 

東京の六本木が一望できるオフィスビルの一室で、ファッションデザイナーの森英恵さん(90)が、’13年に93歳で亡くなった大橋鎭子さんとの思い出を語った。

 

“家族のために”と自ら会社を起こし、雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋さんの人生は、NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』のモチーフ。放送中のドラマでは、妹の大学進学の夢をかなえるため、“男の人のように”お金を稼ごうとビジネスに目覚めるヒロインが描かれる。

 

「今回の朝ドラは見ています。主人公の常子が『自分のことよりも家族のために』と奮闘する姿は、私の知っている鎭子さんに、よく似ていると思いますよ」

 

森さんと鎭子さんが出会ったのは50年ほど前。毎日新聞の記者だった増田れい子さんの紹介だった。

 

「背が高い増田さんとは対照的に小柄な人でしたね。鎭子さんは“敏腕編集者”だと聞いていたので、どんな気難しい人かと思っていたら、とても恥ずかしがり屋のおとなしい方でした(笑)。その日は終始、アトリエで私の仕事ぶりを、遠くから静かに見ていましたが、そのまなざしからは、とてもインテリジェンスがにじみ出ていたように思います」

 

そんな希代の女性実業家2人が出会って数年後、一緒に記事を作る機会を得た。森さんが『暮しの手帖』(’69年・2世紀2号)の、著名人の愛用品を紹介する企画に登場したのだ。

 

「当時はまだ珍しかったホットプレートを紹介しました。コーヒーの保温や、器を温めるために使っていたのですが、実はコレ、今も毎朝使っているんです(笑)」

 

森さんは今も現役デザイナー。鎭子さんも亡くなる9カ月前まで、「面白い企画ない?」と言いながら毎日のように出社していた。そのパワーの源は何なのだろう?

 

「鎭子さんとは、表参道のハナエモリビルの5階にあったフランス料理のレストランでよく食事をしていました。鎭子さんはホントによく食べる人で、70歳を過ぎてもステーキが大好きでしたね。一緒にいると、お互い素の自分で“おしゃべり”ができました。まだまだ話し足りませんが、もうお会いできないのが残念です」

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