「編集長は花森安治さんでしたが、大橋鎭子さんや母の久子さん、次女の晴子さんや三女の芳子さんたち“大橋家”が一丸となって、会社を支えていました。私が入社した昭和35年当時は、まだ社員は10人にも満たなかったため、家族のような雰囲気でした」
こう話すのは、『暮しの手帖』元編集部員で『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』を出版したばかりの小榑雅章さん(78)。 視聴率20%超をキープする、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。残り3カ月は待望の“編集者・常子”の登場となるが、そのモチーフとなったのが大橋鎭子さんと『暮しの手帖』だ。
そこで、小榑さんが「これまで、内部関係者の口から語られることがなかった」という三姉妹との思い出を、特別に語ってくれた。
花森さんが雑誌づくりに集中するため、鎭子さんは対外的な仕事をこなす社長を任せられた。だが、社長とは名ばかりで、雑務全般も担当した。そんな鎭子さんをサポートし、花森さんの秘書役を長年務めていたのが三女・芳子さんだった。
「芳子さんは控えめなタイプ。役職はデスクですが、ほかのスタッフと一緒に雑巾がけもします。編集部では相談しやすいお姉さん的な存在で、体調を崩せばいちばんに心配して声をかけてくれました」(小榑さん・以下同)
花森さんが出張するときは必ず同行。花森さんが汗をかいていれば、それを拭うのも芳子さんだった。
「花森さんのデスクの整理も毎日、芳子さんが担当していました。花森さんは気難しい芸術家タイプで、鉛筆の削り方、並べ方にも強いこだわりがある。それが数ミリずれただけで気分を害し、その日は仕事にならないなんてこともありました」
後に小榑さんは芳子さんからデスク整理を受け継ぐが……。
「あるとき定規の端に鉛筆のカスが残っていて紙が汚れたことがあったんです。花森さんから『磨き忘れだ。なんていい加減な仕事をするんだ』と叱られました。それで“芳子さんはこれほど細かい気配り、目配りをしていたのか”と驚いたのを覚えています」
鎭子さんと芳子さんが存分に仕事ができたのも、家を守る母親・久子さんや次女・晴子さんがいたからこそ。
「晴子さんは実直なタイプで、当時はあまり目立とうとしない奥ゆかしい女性でしたね。三姉妹で唯一、結婚されていますが、結婚後も大橋家全員で同居していたので、お会いすることは多かったのです。編集部員はみんな大橋家の子供だったので(笑)」
小榑さんにとっての、一番の三姉妹の思い出は、入社3年目のことだった。
「入社時は鎭子さんから『締切りを守るためなら親の死に目にも会えません』とくぎを刺されていましたが、いざ母が倒れたときには、心から心配してくれて『すぐに病院に行きましょう』と付き添ってくれたんです。晴子さんには『ちゃんと食べているの?』と気にかけてもらいました。とくに芳子さんが優しかった。編集部では出納係をされていたんですが、母の治療費が大変だったので、経費の精算のときに『これで足りる?病院へのタクシー代もちゃんと請求しなさい。給料の前借りをしてもいいのよ』とまで言ってくれて」
小榑さんにとって『暮しの手帖』での編集者生活は苦労の連続だったが、大橋家の愛情に包まれた幸せな時間でもあったのだ。