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16年12月14日、離婚を発表した香川照之(51)。CAだった知子さん(46)と95年に結婚し、一男一女にも恵まれた香川。結婚21年目の電撃離婚の陰には、いったい何があったのか。本誌の取材で見えてきたのは、梨園妻となった知子さんが味わった“地獄のような日々”だった――。

 

12年に「六月大歌舞伎」で歌舞伎の舞台に立った香川と長男(12)。香川は市川中車として、長男は市川團子として梨園入りを果たした。それは、香川にとって“悲願”だったという。

 

「香川さんがまだ1歳のときに市川猿翁さん(77)と浜木綿子さん(81)が離婚。彼は母に育てられたため、45年にわたって父子関係は断絶状態でした。しかし香川さんは歌舞伎役者になる夢を捨てきれなかった。そのため父との和解を模索し、中車として梨園入りを果たしたのです。そこには『自分が澤瀉屋の看板名跡である市川猿之助を継げなくても、息子には何としても継がせたい』という思いがありました」(歌舞伎関係者)

 

梨園入り後は澤瀉屋の組織改革にも乗り出すなど、精力的に活動し始めた香川。それと前後して、知子さんの“戦い”も始まることとなった。

 

「それまで家事と育児に専念してきた知子さんにとって、梨園妻の務めを果たすことは簡単ではありませんでした。和服の着こなしや梨園妻としての仕事を学び、長男の踊りのお稽古送迎もしなくてはなりません。また長男のデビュー後は、演舞場で挨拶まわりにも奔走していました。さらに猿翁さんとの同居が始まると、介護の負担も重くのしかかることになった。彼女は目に見えて疲れているようでした」(前出・歌舞伎関係者)

 

だがそんな彼女を待っていたのは、先輩梨園妻たちからの“いじめ”だった。

 

「劇場ロビーで挨拶をする際も、知子さんにとっては知らない人ばかり。でも後ろ盾がない彼女には教えてくれる人もいないのです。そのうえ香川さんは父の後をついて回らなければならないため、現場は彼女が仕切らなくてはなりません。しかしそんな彼女への先輩妻たちの対応は冷ややかでした。面と向かっての嫌がらせはなかったものの、知子さんが挨拶をしても無視するなど“いじめ”のような状態が続きました」(前出・歌舞伎関係者)

 

さらに知子さんに追い打ちをかけたのは、長男への“陰口”だったという。

 

「伝統芸能の重鎮のひとりがブログで市川團子のことを“只の駄馬”と酷評したのです。名前こそ出していなかったものの、それが團子のことを指すのは明らかでした。自分だけならまだしも、息子まで攻撃された。そこで彼女の心は折れてしまいました」(前出・歌舞伎関係者)

 

本誌記者が最後に彼女を公の場で目撃したのは、14年11月。以来、彼女は梨園から姿を消してしまった――。

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