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《小さいころ、お母さんにお客さんになってもらって家の玄関で歌っていました。そんな私が大きなステージに立たせていただけるなんて、夢にも思いませんでした》

 

そうコメントしたのは、9月に初の東京ドーム公演を行うことが決定した西野カナ(27)。女性ソロ歌手による東京ドーム公演は史上10人目、平成生まれとしては初の快挙だ。昨年は日本レコード大賞と日本有線大賞をダブル受賞するなど、何かと脚光を浴びている西野。そんな“平成の歌姫”の原点を追った――。

 

彼女が育ったのは、三重県松阪市。和風建築の家々が多く建ち並ぶなか、ポツリと建つ洋風の一軒家が実家だった。近所の住人が彼女の思い出をこう振り返る。

 

「家の前を通ると、いつもカナちゃんが歌う声が聞こえてきました。まだ小学生くらいのころだったと思います。かわいい声でしたが、とても上手だと思ったのを覚えています」

 

幼いころから歌うことが大好きだった西野。そんな彼女を支えてきたのは、母だった。

 

「お母さんはスリムな女性で工藤静香さん似の美人。お父さんは運送会社で働いていて、背が高くてハンサムな人。美男美女で、とても幸せそうなご夫婦でした。でもカナちゃんがまだ幼いころにご両親は別れて、お父さんはこの家を去っていきました。以来、お母さんが女手ひとつでカナちゃんを育ててきたんです」(前出・近所の住人)

 

母は市内の美容院で働きながら、西野の子育てにも全力で打ち込んでいた。

 

「お母さんは隣町の小学校まで電車通学するカナちゃんを毎朝駅まで車で送っていき、その後で美容室へ出勤。下校時刻になると仕事を切り上げて迎えに行っていました。子育てはとても大変だったと思います」(前出・近所の住人)

 

歌も上手だったが、学業も怠らなかった西野。それは他ならぬ、母の教育信念だった。

 

「お母さんは“子供は放っておいても育たない”というのが持論で『いくら才能があったとしても、子供はその力を発揮する術がわからないもの。だから親が助けてあげないといけない』とよく漏らしていましたね。実際、高校に入ってカナちゃんがプロ歌手を目指し始めてからは、お母さんが各地のオーディションにも同行していましたから。『歌と勉強。あの子がどちらに進みたいと思っても困らないよう、2つの道を用意してあげたい』とも言っていました」(別の近所の住人)

 

そんな母の支えを受け、05年の『スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックス』で歌手デビューへの扉が開けた西野。今や押しも押されない歌姫となった彼女だが、冒頭のコメントのあとにこう続けている。

 

《応援してくださるファンのみなさんと、周りで支えてくれる方々のおかげです》

 

その感謝の言葉は、きっと母親にも届いていることだろう――。

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