「麻央さんは病気発覚以降、常に成田屋の行く末を心配していました。自分に万が一のことがあったときを考えて、複数の手紙をしたため遺していたそうです」(歌舞伎関係者)
小林麻央さん(享年34)の“覚悟の手紙”があった――。悲しみの死から1週間、手紙の存在が知られるにつれ、改めて周囲に驚きと感動の思いが広がっている。
「海老蔵さんがかつて指導を受けた中村吉右衛門さんをはじめ、歌舞伎の重鎮の方々に宛てたものと聞いています。手紙には『私の亡き後も夫と息子の勸玄のことを末永くよろしく頼みます』という趣旨のことが書かれているようです。麻央さんは“梨園の妻としての役目”を最期まで立派に勤め上げようとしていたんだと思います」(前出・歌舞伎関係者)
麻央さんには忸怩たる思いがあった。がんの告知は14年10月。前年に市川團十郎さん(享年66)が亡くなり、市川海老蔵(39)が成田屋の重責を担うようになった矢先だった。
「麻央さんはがんがわかってからも、海老蔵の母・希実子さん(64)について“おかみさん修行”を続けていました。周囲に明かさず、麻央さんは涼しい顔をして歌舞伎座のロビーに立ち、お客様をお迎えしていました。だが16年1月、海老蔵が座頭を務めた『初春花形歌舞伎』に麻央さんの姿はありませんでした。麻央さんがいらっしゃらないことに、ごひいきのみならず、梨園の関係者も不思議に思っていました」(前出・歌舞伎関係者)
このとき、麻央さんは歌舞伎座のロビーに立ちたくても立てない状態だった。それから5カ月後の6月9日、海老蔵は麻央さんががんを患っていることを明らかにした。
「もちろん、麻央さんは再び梨園の妻として復帰することを信じて闘病していました。だが万一のことも考え、筆をとったそうです。一点一画おろそかにせず、手紙をしたためたと聞いています」(松竹関係者)
夫とわが子のために全身全霊で書いた麻央さんの手紙。
「すでに、海老蔵さんはお父さまを亡くされています。海老蔵さんと勸玄くんの活躍のためには歌舞伎界の重鎮の後ろ盾が不可欠ですが、本来、ほかの家とのお付き合いは妻の役目です。自分がいなくなった後も、変わらぬお付き合いをしてほしい。そんな願いも込められた手紙だったそうです」(前出・歌舞伎関係者)
そして梨園の妻としての最後の仕事を立派に果たした。
「麻央さんは希実子さんに思いを告げ、手紙を託したそうです。しかるべきタイミングで希実子さんからそれぞれの方に直接手渡されるのでしょう。手紙には封がしてあるので、海老蔵さんも詳しい文面は知らないはずです。もし海老蔵さんがこの先、それを読む機会があったら、麻央さんの深い愛情に、泣いてしまうと思います」(前出・歌舞伎関係者)
「七月大歌舞伎」で勸玄くんは父・海老蔵と親子宙乗りに挑む。――これからも2人のことをよろしくお願いいたします。麻央さんの深い愛情はいつまでもそこにある。