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日清カップヌードルのCM「OBAKA’s UNIVERSITY」シリーズの第1弾に放送直後から内容についての批判が殺到し、7日に放送を取りやめました。CMの内容はビートたけしら有名人が教員に扮し、若者らに講義する内容。事務所独立問題で一時芸能界から姿を消しかけた歌手の小林幸子さん。ゴーストライター問題のあった作曲家の新垣隆氏。そして不倫騒動のあったタレントの矢口真里さんらが出演していました。

視聴者からよせられたという意見は「不倫や虚偽を擁護しているように見える」などがあったそうですが、1番の原因は不倫をネタ化した矢口さんが問題だったようです。放送中止を受けてネットでは「不倫をネタ化しても笑えない」など、不倫に対する根強い意見が多い一方、「CMのコンセプトが何も生かされない結果になった」「日本は失敗した人を許さない国というのが証明された」など、今回のコンセプト倒れに日本の闇を感じている人も多くいたようです。

この議論の中心となっているのが、矢口さんの「不倫からの人生再起」でしょう。矢口さんのキャラクターが炎上する要因に絡んでいるとはいえ、なぜこうも不倫の批判は継続的に続いてしまうのでしょうか。筆者はこの“不倫フルボッコ構造”に、日本の潔癖な空気と、まわり回って自分達の首を締めている恐怖心を感じてしまいます。

■矢口真里をまだ叩くのは、不倫が怖い人たち
そもそも矢口さんの行った不倫は悪いことなのか……という話になりそうですが、彼女は不倫後は離婚し1年ほど休業。謝罪会見を開いて復帰をしています。この不倫が罪だろうが悪だろうが、もはや復帰のために行った反省としては完ぺきで「テレビに出る資格がない」と言われても、活動するだけの態度は示して再開しているといえます。ネタにするのが悪いかどうかは本人同士の取り決めがあるわけで、そこを外野が今も言うのはおせっかいというものです。

では、彼女を未だに叩いている人は誰なのかを考えていくと、どうやら既婚女性の声が大きい様子。おそらく夫やパートナーを奪われる恐怖心を抱えた女性が、矢口さんを許せないでいるのかもしれません。あのCMが世の中に認知されると、不倫も反省すれば問題なし!という前例が平成の世に出回ってしまいます。すると第2、第3の不倫反省事例が出てくるかもしれません。そうなると明日は我が身になりかねないため、「道徳心」「生理的な感覚」という武器をかざして、不倫経験者を排除しようとするのかもしれません。

■失敗を叩けば叩くだけ、自分の首を絞めている事に気付けない
でもよく考えると、筆者はこの不倫撲滅の空気はまわり回って自分達の首を絞めている気がしてなりません。不倫やそこからの再起を全く認めないということは、自分が失敗した側に立った場合、人生終了を意味するからです。

想像してみてください。たとえば自分が不倫をしなくとも、自分のきょうだいや親が不倫して社会から抹殺されかけた場合、あなたは矢口さんと同じようにフルボッコにできるでしょうか。自分ごとになったら、「反省して今度は真面目にやりなよ」と失望しつつも、最後は励ましの声をかけるのではないでしょうか。

矢口さんは再起不能にして、自分の身内だと拒否しない理由。そこを答えられないのであれば、その不倫フルボッコの正義感は、きっとあなたの中にある恐怖心から来ているかもしれません。しかしいつ自分の身近な人に起こるかもしれない不倫。怖いのであれば「不倫は悪だ!」と叩き続けるよりも、「不倫は悪いかもしれないけれど、本人次第」という少しの優しさも持ち合わせたいものですね。

「世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう」

これはCM中の、ビートたけし氏のセリフです。「不倫は悪」という正しそうな世間の声に乗るのではなく、自分の中にある不倫に対する漠然とした嫌悪感の正体を正しく聞くことも、大事なのではないでしょうか。

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