「子供たちからの信頼が厚いベテランでした。本人は春馬に『心配をかけたくない』と言っていたようですが、私たちが村木さんの容体のことを知らせると、恩師のために駆けつけてくれたのです。『先生にもっと生きてほしい』という気持ちもあったからだと思います……。春馬は村木さんの病室での言葉を、ずっと糧にしてくれたそうですが、教師冥利につきますよね」
前出の記事で、三浦さんはこう続けていた。
《(病室で)最後に言ってくれた『絶対に焦るんじゃないぞ』という言葉を、これから先も思い出しながら、ずっと自分の糧にしていくんだろうなと思います。忘れられません、その言葉が》
なぜ三浦さんは、これほどまでに人を愛し続けたのだろうか。彼と親交のあった同年代の俳優は、こう語る。
「彼はよく知人のことを、『兄のように思っている』とか『弟のような存在』と表現していました。僕も同じような境遇だったからなんとなくわかるのですが、一人っ子で、親御さんも仕事で忙しかったそうですから、小さいころは寂しい思いもしたのではないでしょうか。だからとりわけ人のぬくもりを求めていたのではないかと……。
一生懸命に人の悩みも聞いていましたが、いっぽうで自分の弱みはあまり見せないところがありました。人の気持ちばかり抱え込んでしまって、つらくなってしまうこともあったかもしれません」
「女性自身」2020年8月11日号 掲載