大野の日焼け、櫻井のへそピに激怒…嵐を導いたメリーさんの“ダメ出し”
画像を見る 世界にはばたく“日本代表グループ”となった嵐

 

■「タレントと心の通った運命共同体でありたい」

 

メリーさん自身、45年前の本誌に、自分の信条をこう語っている。

 

《いつも夢中で生きてきたので自分の生き方などという大それたものはありません。ただ、母としては子供に缶詰からそのまま取り出して食べさせるような手抜きはしたくない。夫がどんなに遅く人を連れて来ようが大歓迎したい。マネージャーとしてはタレントと心の通った運命共同体でありたい》

 

前出の音楽関係者は言う。

 

「メリーさんの指導大原則は“タレントである以前に、人間としてきちんとしていることが大事”ということでした。マナーや礼儀に厳しく、社会のルールを身をもって経験させてきました。また、ふだんからメリーさんが口を酸っぱくして教えていたのは『親を大切にしなさい』ということ。だから売れたタレントは両親に家を建てることが多かったのです」

 

たのきんが超売れっ子時代、メリーさんは取材でこう語っている。

 

《3人とも学校に行くときは電車やバスで通ってます。誰から見ても『いい子だな』と言われるような、普通の常識を備えた男の子でいてほしいんです》(『週刊文春』1980年11月6日号)

 

ジャニーズ事務所はたのきん後も光GENJI、少年隊、TOKIOら人気グループを次々に輩出。メリーさんは彼らのマネジメントの傍ら、衣装も手作りしていたと別の音楽関係者は話す。

 

「当時はスタイリストに頼まず、メリーさんが少年隊の衣装を作っていました。コンサートなどで使う、後ろにチャックがついていてすぐに脱げる“早替え”の衣装を考えたのがメリーさん。“よく眠れない”と悩んでいた堂本剛さんには手作りの甚平を渡していたこともありました」

 

そんな“よき母”も所属タレントを叱るときは厳しかったという。

 

「ジャニーさんは“タレントとしてどうあるべきか”というプロデューサー的な視点から助言していた一方で、メリーさんはよくない生活態度が見られたタレントを頻繁に呼び出し、説教していました。個人が何かをやらかしても所属グループ全体として話し合いを持ちメンバーに責任感を持たせるのです」(前出・メリーさんの知人)

 

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