人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽で知られる作曲家・すぎやまこういちさんが9月30日、敗血症性ショックのため亡くなった。90歳だった。
すぎやまさんがライフワークとして取り組んだ『ドラゴンクエスト』の作曲は1986年、すぎやまさんが55歳の時に始まった。その前はラジオ局ディレクター、テレビ局ディレクター、グループサウンズの作曲家などキャリアは多岐に渡る。
ラジオ局の文化放送に入社したのは1954年。高校3年生の時に初めて作曲した「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」が評価され、入社が決まった。
その後、開局準備中だったフジテレビに入社。
《放送局に入ったのは、「音楽学校に入ると高い授業料を払って勉強。でも、放送局に入れば現場で音楽を学びながらお給料が貰えるから、良い仕事だな」って思ったからなんです(笑)》(JASRAC会員作家インタビュー)
黎明期のテレビ業界への転身をこう語っていたというすぎやまさん。さらに同じインタビューでは、こうも話していた。
《音楽学校に入って学ぶのは理論や技術であって、音楽を創る上で一番大切な「感受性」は習って身につくものではないですね》
音大へは通わず独学で音楽を学んだすぎやまさんは、テレビの現場で実践的に音楽を学んだ。
ディレクターとして手がけた音楽番組『ザ・ヒットパレード』では、“生放送”の価値にこだわった。イギリスの有名歌手が“口パク”で出演しようとした際には、『ゲット・アウト(出て行け)』と怒鳴った。ついた異名は“独裁者”。音楽への愛があったからこそ、妥協できなかったという。
1960年代に入ると、ディレクター業の傍らで作曲家としても精力的に活動。ジュリーこと沢田研二(73)がボーカルを務める『ザ・タイガース』のデビュー曲『僕のマリー』など、グループサウンズのブームを支えた。
「すぎやまさんはザ・タイガースの『花の首飾り』やザ・ピーナッツの『恋のフーガ』、ヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』などのB面楽曲も数多く手がけました。
宣伝費をかけてプロモーションをするA面と違って、B面はプロモーションを行いません。そのためB面の楽曲は普通、なかなか注目されない。ですが、すぎやまさんが作曲したB面の楽曲はヒットソングばかりです。プロモートをしていない曲でも聴き手を魅了できるというのは、それだけ魅力のある曲だったということ。B面のヒットは自信になったと、すぎやまさんは話していました」(音楽関係者)
1970年代に入ると、さらに活動の幅を広める。『帰ってきたウルトラマン』の主題歌や『科学忍者隊ガッチャマンII』『サイボーグ009』『伝説巨神イデオン』など、特撮音楽やアニメ音楽も手がけるようになった。
ここまでで、すでに数々の偉業を成し遂げてきたすぎやまさん。そしてさらに『ドラクエ』との出会いで新境地を切り開き、ゲーム音楽のパイオニアとなった。
「すぎやまさんはすでに名作曲家として知られていました。だから当時『ドラクエ』の開発に関わっていたスタッフは、『すぎやまさんはゲーム音楽を真剣にやってくれるのか』と懐疑的だったそうです。ですが、すぎやまさんは二つ返事で作曲を引き受けたのです」(ゲーム制作会社関係者)
それもそのはず。すぎやまさんは大のゲーム好きだった。
「すぎやまさんの両親は雀荘で知り合ったそうで、すぎやまさんは親譲りのゲーマー。戦時中も空襲のさなかに光を外に漏らさぬよう注意しながら花札や『コントラクトブリッジ』(トランプゲームの一種)に家族で興じていたというほどなんです」(前出・ゲーム制作会社関係者)
自身もゲーム好きだったからこそ、何度プレイしても聞き飽きない“プレイヤー目線”での楽曲作りができたと生前にすぎやまさんは語っていた。ドラクエの仕事はまさに天職だったのだろう。