都内の屈指の名刹で、祭壇には大きな遺影が飾られていた。棺の両脇には約50人の列席者が居並び、霊柩車へ運び込まれる様子を見守っている。 人間国宝・中村吉右衛門さん(享年77)が11月28日、心不全のため逝去。その4日後、冬晴れのもと親族葬が厳かに営まれていた。
憔悴した表情の兄・松本白鸚(79)、泣き崩れる吉右衛門さんの四女・瓔子さんを支える夫・尾上菊之助(44)と3人の子供たち。最期の別れに、皆で手を合わせる。奥歯をかんで悔しがる尾上菊五郎(79)の横で妻・富司純子(76)は目を閉じ、頬を濡らしていた。
吉右衛門さんが倒れたのは、今年3月28日のことだった。
「歌舞伎座の出演を終えた吉右衛門さんは知佐夫人と都内ホテル内のレストランで食事中に心臓発作で倒れ、緊急搬送されました。すでに心肺停止に近い状態で、意識は一度も戻ることなく8カ月後に帰らぬ人となったのです」
そう語るのは、歌舞伎関係者。
「コロナ禍のため、知佐夫人や4人の娘さんも週に1度の面会しかかなわなかったそうです。 昨年から体調を崩し、エレベーターのないビルの2階に上がるのに、お弟子さんにお尻を押してもらわないと上がれないほどでした。最後の舞台となった日の石川五右衛門役を見たある歌舞伎役者も『覇気がなかった……』と口惜しそうでした。肉体的にすでに限界だったのでしょう」(歌舞伎関係者)
喪主を務めた12歳年下の知佐夫人の目は泣き腫らしていた。
「4歳で初舞台を踏み、22歳で祖父・初代吉右衛門の名跡を継承した吉右衛門さんでしたが、青年時代は初代との芸の差に悩み、精神安定剤をジンで飲み、吐血して救急車で運ばれたこともありました。そんな彼を全力で支えたのが、30歳のときに結婚した知佐夫人でした。以来、梨園でも愛妻家として知られ、晩年も夫人とよく近所の散歩に出かけていました。
絵画が趣味だった吉右衛門さんは知佐夫人の寝顔を自ら描いたデッサン画をとても気に入り、枕元に飾っていたほどです。火葬場では棺を炉に収めた後、皆さん座敷で待っていたのですが、知佐夫人は最後まで炉の前を離れることはなかったといいます。2人は最後まで相思相愛でした」(前出・歌舞伎関係者)