86年10月、退院後の出産会見で 画像を見る

12月18日に35歳の若さで突如この世を去った神田沙也加さん。訃報から1週間経った今も、日本中が深い悲しみに包まれている。

 

「沙也加さんが13歳の時から憧れ、“ママ”と公私ともに慕った大地真央さん(65)は、22日にInstagramで『さや やすらかに……Love』とメッセージを送っています。映画『アナと雪の女王』で沙也加さんと仕事をともにした松たか子さん(44)も『ものがたりにふれれば、アナはいつでもわたしたちにはなしかけてくれ、ほほえみかけてくれます。ありがとう、アナ』とコメントを発表しています。

 

また沙也加さんのInstagramの最後の投稿には、連日、ファンがコメントを寄せ、その数は2千件近くになるなど、多くの人が沙也加さんの死を悼んでいます」(芸能関係者)

 

そして、言葉で言い表せられないほど悲嘆に暮れているのが沙也加さんの両親である松田聖子(59)と神田正輝(71)だ。聖子は19日に東京で予定していたディナーショーの公演を中止し、沙也加さんが亡くなった札幌市へ。21日に札幌市内の斎場で沙也加さんに最後の別れを告げたのち、2人揃って囲み取材に応じた。

 

正輝は遺骨を抱きながら近親者のみで葬儀を行ったことを明かし、「あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたら」と語り、聖子も位牌を抱え「ありがとうございます」と言葉をつまらせていた。

 

「正輝さんはMCを務める『旅サラダ』(フジテレビ系)の本日放送回に出演する意向だといいます。また聖子さんも曲目未定とされていた『第72回NHK紅白歌合戦』に出場する可能性が高いと24日に一部メディアで報じられていました」(前出・芸能関係者)

 

聖子と正輝が直面した最愛の娘の死。2人にとってこの35年間は、沙也加さんなしには語れないだろうーー。

 

聖子は、85年4月に正輝との婚約を発表。翌年10月には沙也加さんが誕生。病院前で行なわれた出産会見には多くの報道陣が駆けつけ、沙也加さんの誕生を日本中の人々が喜んだ。

 

国民的アイドル・聖子と人気俳優の正輝との間に誕生した一人娘ということもあって、当時は聖子ファミリーの一挙手一投足が“ニュース”に。88年のハワイでの家族旅行や、90年に沙也加さんが幼稚園に入園したときなど、折に触れて2人は会見。沙也加さんの成長を報告してきた。

 

89年10月には、自宅近くの公園で沙也加さんが三輪車に乗る練習を見守る聖子の姿もあった。

 

また90年10月に幼稚園の運動会が行なわれると、聖子と正輝は大きなお弁当を手にラフなファッションで一般の父兄と同じように参加。父親だけで行なわれる綱引きには正輝も参加し、聖子と沙也加さんが「パパー!」と声援を送る一幕も。

 

運動会後、聖子は『Myojo』の取材に対して、こう語っていた。

 

「集団の中のひとりとして、沙也加が何らかの役割を与えられ、頑張っている……その姿を見て、大きくなったなあと思いました」(90年10月25日号)

 

その後も沙也加さんに惜しみない愛を注ぎ、成長を見守っていた2人。97年に離婚するが、それからは別々の場所で娘を見守り続けていた。

 

01年から「SAYAKA」名義で芸能活動を開始した沙也加さんだが、所属したのは聖子の個人事務所「ファンティック」。歌手、女優として順調にキャリアを築いていく。11年の『NHK紅白歌合戦』では親子共演も実現し、話題を呼んでいた。

 

正輝も父親として沙也加さんの“良き相談相手”になっていた。06年12月に知人らとの会食に沙也加さんも招き、仲睦まじげに食事をする様子を本誌も目撃。また19年12月に沙也加さんが離婚し、本誌が正輝に取材を申し込んだ際も「ごめんね。でもみんなと相談してこの件に関しては何も言わない。そう僕らは決めたんで。申し訳ない」と沈黙を守っていた。

 

離婚後も母として、父として沙也加さんに愛情を注ぎ続けていた聖子と正輝。その悲しみは察するに余りあるーー。

 

【いのちの電話】

0570-783-556(ナビダイヤル)
午前10時から午後10時まで

0120-783-556(フリーダイヤル・無料)
毎日16時から21時まで
毎月10日午前8時から翌日午前8時まで

出典元:

WEB女性自身

関連カテゴリー: