「訃報を聞いた百恵さんはとても落ち込んでいるそうです」(百恵さんの知人)
3月に長男・三浦祐太朗(38)のもとに第1子が誕生し、おばあちゃんとなったばかりの百恵さん(63)に悲しい知らせが届いた。
“山口百恵”のマネージャーを務めた小田信吾さんが4月30日に急性心不全でこの世を去ったのだ。83歳だった。
「小田さんは’68年にホリプロに入社し、百恵さんや和田アキ子さん(72)のマネジメントを担当し、スターにしました。’84年にはホリプロの社長に就任し、その後は会長として東証1部上場も果たしています」(芸能関係者)
数々のタレントを育てた小田さんだが、百恵さんへの思い入れは特別なものがあったという。
「当時は清純派の王道アイドルが全盛でしたが、小田さんは『ほかのアイドルにはない陰がある』とデビュー時から百恵さんの稀有な才能を見抜いていたそうです。そして、チーフマネージャーとして、阿木燿子&宇崎竜童夫妻が手掛けた『横須賀ストーリー』や『プレイバックpart2』といった代表曲を世に送り出し、百恵さんのカリスマ的な人気を作り上げたのです。
百恵さんも自分らしさを尊重してくれる小田さんのことを誰よりも信頼していたといいます」(前出・芸能関係者)
その後、’80年に三浦友和(70)と結婚し、人気絶頂のまま引退。芸能界復帰をかたくなに固辞し、関わりも極力断った百恵さんの“窓口”になったのも小田さんだった。
小田さんと親交のあった芸能リポーターの城下尊之さんは言う。
「百恵さんは引退後も小田さんとは交流を続けたそうです。テレビの映像使用や歌手関連の仕事の許可を小田さんが百恵さんに確認していたそうです。
ただ、小田さんは仕事の連絡に徹し、引退後の生活には踏み込まなかったそうです。百恵さんはそうしたところにも信頼を寄せており、相談があれば二つ返事でOKをしていたと聞いています」
引退後も心を許した数少ない“友人”を失った百恵さん。大きな心境の変化を迎えていると、前出の知人は言う。
「一昨年に全楽曲をサブスクリプション配信で解禁、昨年も引退コンサートをテレビで再放送していましたが、その際も小田さんが連絡を取っていたと聞いています。そんな現役時代の生き証人でもある小田さんが亡くなったことで、今後の許可を断るということではないですが、百恵さんの中には“これで山口百恵はひと区切り”という思いもあるそうです」
49年にわたって“山口百恵のマネージャー”として支え続けた小田さん。今度は天国から“三浦百恵さん”を応援し続けることだろう。