記憶力や言語能力から感情、気力、時間や季節の認識……。認知症は、健康だった人からさまざまなものを奪い去る。漫画家でタレントとして異彩を放っていた蛭子能収さん(75)からも多くの「才」を抜き去った。シュールで暴力的な不条理作品を描き「狂気を内側から描く人」と称された鋭才。空気の読めない言動をするも“どこか憎めないおじさん”としてテレビの世界で活躍した奇才も、認知症という病はかすめとっていったーー。
そんな蛭子さんが、22年12月某日、まっさらなキャンバスに向かい合っていた。右手に握るのは絵筆。目の前には色とりどりのアクリル絵の具が並ぶ。
彼が絵を描くことに目覚めたのは、生まれ故郷の長崎商業高校で「美術クラブ」に入ったとき。夢中だった。楽しかった。
「真っ白なキャンバスに赤い線を1本ひいただけでも絵として認められるのがよかった」とかつてを振り返り語っていたことがある。
その美術クラブで、ある部員が投げ出した作品を蛭子さんもふくめ仲間がいろんな絵の具を使って『テキトー』に完成させたことがある。その作品は、コンクールで評価され、ポスターとなって日本全国で使われることに。その体験から蛭子さんはこう思ったと過去に話していた。「絵なんてものは、見る人が“これは面白い”と思う絵がいいんだ」。
それが一世を風靡した蛭子流のヘタウマの原点だという。
その後「食べるため」に看板屋、チリ紙交換、ダスキンの営業などさまざまな職業を経て、漫画家、タレントに。ところが、それまで蛭子さんが作り上げてきた、金を稼ぐための「才」を認知症は奪い取っていった。
蛭子さんは今、中腰の姿勢のまま、赤い絵の具を載せた絵筆を、キャンバスの上で動かしている。
次々と色を変え、夢中でキャンバスを塗りつぶしていく。下絵はない。構想もない。金のためでもない。そこにあるのは、誰かに“これは面白い”と思われるためーー。蛭子さん10代の頃に戻ったように、無心に絵と向き合っている。
認知症は、人から多くのものを奪い去る。しかし、そんな病でも、持ち去ることができないものがあると信じている。
描き上げた作品に、蛭子さんはタイトルをつけて、キャンバスの裏に丁寧に書き留めたーー『ただいま』と。