住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。
「トレンディドラマ全盛期の’80年代後半から’90年代にかけて、もっともヒット作を連発した脚本家といえば、野島伸司さんがあげられるでしょう」
そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。
’63年に生まれた野島伸司氏は、大学中退後、目的を見失った生活を送っていたという。
「過去のインタビュー記事を見ると、青森県の缶詰工場に住み込みで働いていたことがあり、その工場の生活に耐えられず寮を飛び出して東京へ向かう途中、たまたまドラマの脚本募集の告知を目にしたそうです。その後、飲み屋さんで知り合った女性に『若いのに、夢はないの?』と問われ、その場しのぎで『ドラマの脚本を書きたい』と口をついて出たとのこと。そこから一念発起して脚本の道へ。まったくツテもないなか、有名脚本家のもとに作品を持ち込み、その人にフジテレビのプロデューサーを紹介してもらったといいます。野島さんの人生も、またサクセスストーリーのドラマのよう」
■キラキラよりどんより。ドラマを変えた分岐点
’88年にフジテレビヤングシナリオ大賞に輝き、『君が嘘をついた』(’88年・フジテレビ系)で初めて連ドラの脚本を担当。
「当初は『愛しあってるかい!』(’89年・フジテレビ系)など、いわゆるトレンディドラマらしい脚本を描いていましたが、『愛という名のもとに』(’91年・フジテレビ系)では自死やパワハラをテーマとして扱い、徐々に社会問題や人間の暗部に焦点を当てていきます。大きな転機となった作品は、教師と生徒との恋愛、近親相姦、同性愛を扱った『高校教師』(’93年・TBS系)ではないでしょうか」
あまりに激しい内容に、テレビ局には多くのクレームが入った。
「今でいう“炎上”ですが、反響があればあるほど、視聴率が上がりました。ここから『野島作品』のスタイルが確立します。野島さんのドラマの特徴は、初回から数話先まではテンポよく、暗いテーマにもさほど時間を割きませんが、最終回に向け、どろどろした人間の暗部に斬り込みます。こうした手法も生かし、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(’94年)『未成年』(’95年)『聖者の行進』(’98年・ともにTBS)とヒットを続けました」
「僕は死にましぇ~ん」「そこに愛はあるのかい?」「同情するなら金をくれ」など、主人公の決めゼリフが流行語になることも多かった。
「華やかでおしゃれな男女の恋愛を描くトレンディドラマの時代が終わり、暗く影のある作品が求められるようになった’90年代前半。野島さんは、その分岐点をつくった脚本家ではないでしょうか」
【PROFILE】
牛窪恵
’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍