■夫・高内さんが本誌に語った、母の「自宅介護」生活
翌年、英明さんが亡くなった後も、松坂は独居のつね子さんの体調を気遣っていたという。
「松坂さんが還暦を迎えた’12年、意を決して夫婦で実家に引っ越して同居を始めたのです。このころには、つね子さんには認知症の症状が見られ、着替えや食事も一人ではできず、車いすなしでは移動もできない状態でした。それでも施設に預けず、自ら介護することで“もう一度、母に向き合いたい”という思いがあったといいます」(前出・夫妻の知人)
本誌は’18年2月、松坂が自宅介護で奮闘する現場を目撃していた。都内にある松坂の自宅に、浴槽が運び込まれていった。90代後半の実母が要介護3認定を受けたため、リフォーム作業を行っていたようだ。高内さんは本誌の取材にこう語っていた。
「自宅介護ということになるでしょうか。家族でローテーションを組みながら続けています。ヘルパーさんたちに助けていただきながら夫婦で一緒にやっています」
母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんは言う。
「結婚当時、あれだけ反対されたのに、夫婦で母親の介護に取り組んだのは、家族の“空白の時間”を埋めたかったからでしょう。孫の顔を見せられず、崩壊した家族のままで両親が亡くなるケースは少なくありません。母親と孫が触れ合う機会を作り、それを“最後の親孝行”にという思いが強かったのでしょう」
壮絶な介護の末、母は’21年の春に亡くなっていた。松坂は’22年のインタビューでこう語っている。
《60歳からは母と同居していましたので、仕事をセーブした時期もあります。昨年、母を見送って——娘たちも成長して立派な大人になり、最近は逆に私を助けてくれるので、安心して仕事に取り組めています》(『婦人公論』’22年3月号)
スポーツ紙記者は言う。
「つね子さんの最期は自宅で看取ったそうです。松坂さんは親しい人に『母は100歳目前まで生きることができ、大往生でした』と気丈に話していたと聞いています」
前出の制作関係者によれば、松坂は『らんまん』の撮影中、母を思い出すことが多かったそうだ。
「松坂さんがタキのモデルとしたのは、亡き母親だったようですね。『母は私の結婚に反対したり、とにかく心配性でしたけど、笑うと憎めない人でした。それでいて生命力にあふれていて、揺るぎのない強さがあったから、タキとけっこう似ているかも……などと話していたそうです。タキが亡くなる場面は、自然とつね子さんの最期を思い出して、涙があふれたといいます」
前出の総本山善通寺を訪れたのにも、理由があったようだ。
「つね子さんの旅立ちを報告しに訪れたようです。晴れ晴れとした表情だったそうです」(前出・制作関係者)
前出の横山さんも言う。
「松坂さんは結婚するとき、『夫か親か』難しい選択を迫られ、相当悩んだと思います。母親の晩年、夫が献身的に介護をしてくれたことで、『私の決断は間違いではなかった』と最後に母親にも証明できたという幸福な達成感もあったのではないでしょうか」
両親との恩讐を超えて、松坂の『らんまん』とした70代が始まっていた——。