《実は父は三兄弟の初の自主公演を観るために4年ぶりに東京へ とっても楽しみにしていました ところが『第一回神谷町小歌舞伎』の初日開演30分前に倒れ無念にも劇場ではなく病院へ運ばれ先生方の懸命な救命治療で一命を取り止め、危篤な中本人も頑張っていました》
7月22日、三田寛子(57)が自らのインスタで87歳の実父が一時危篤状態だったことを明かした。中村橋之助(27)、福之助(25)、歌之助(21)の母でもある三田。彼女の実父が孫たちの舞台を観劇する直前に緊急搬送されたという。
「三田さんは連日、必死に看病していました。亡きお母さんの仏前に『どうか父を助けて』と涙ながらに祈る日々だったそうです。面会に来た子供たちが、今回の舞台の映像を見せようと何度も呼びかけると、3週間ぶりに体を起こしたそう。『奇跡だ!』と母子で喜んでいました」(後援会関係者)
三田の知人は言う。
「三田さんは昔からとても『お父さんっ子』だったんです。若かりしころ、苦労して自分を育ててくれたことを今も感謝しているんです」
三田の実家は曽祖父が創業した由緒正しい染物店だった。しつけには特に厳しい父だったと三田はインタビューで語っている。
《「人前では絶対に泣いてはいけない」が口癖。女の子はすぐ泣く、それは卑怯で狡い(略)と、正座させられて延々と説教されました》(『週刊現代』’17年12月16日号)
口答えしたときは平手で容赦なく顔をたたかれ、鼻血が飛び散ったことも。そのため、三田は人前で泣いた記憶がないという。
15歳で上京した三田は’81年に『2年B組仙八先生』(TBS系)で女優デビューするが、オイルショックの影響で染物店は廃業。三田は父がタクシー運転手に転職したと語っている。
《父はタクシーの助手席の前に私の写真を貼り、気付いたお客さんに『私の娘なんです。応援よろしくお願いします』と話していたようなんです》(『週刊現代』’17年12月16日号)
まだ三田が夫・中村芝翫(57)と交際していたころ、勤務中の父に目撃されたことも。
「お父さんは深夜勤務で、留守にすることが多かったとか。お母さんは当時、老眼鏡をかけて内職をして家計を支えていました。三田さんは芝翫さんと結婚するとき、両親に伝えたそうです。『2人のように何があっても幸せになれる、一生を共にしたい相手ができた』と。両親はとても喜んでいたそうです」(前出の知人)
それから30年超、夫は不倫報道でたびたび世間を騒がせたが……。
「いまだ夫への不信感を拭えない三田さんがそれでも離婚しないのは、お父さんの悲しむ顔を見たくないからだそうです」(前出の知人)
父のためにも今は離婚できない、看病に努める三田の切ない思いを芝翫は知っているのだろうか。