4年ぶりの主演映画第II弾『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~』(11月23日公開)でも話題のGACKT(50)。彼の20年ぶりの続編自伝となる『自白II』(光文社)が11月22日に刊行された。もともと初の自伝『自白』が発売されたのは03年9月のこと。「神秘のアーティストが初めて明かした謎の半生」が反響を呼び、累計10万部を突破するベストセラーとなった。
03年6月3日号の本誌インタビューでは、GACKTがカジノのディーラーとして働いていた19歳のときを振り返っている。自伝『自白』にも収録された当時の“自白”を再編集して公開する――。
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10代のころ、僕はとにかくメチャクチャだった。
バイクや車で無茶をした。僕は僕であることの意味がわからなかった。別に、いつ死んでもいい。そんな投げやりな気分が、いつも僕の中心に渦巻いていた。
僕を変えたのは、ある人との出会いだった。19歳。僕にとって、それは衝撃的な出会いだった。
彼は、カジノの客だった。30代で独身。実業家で、お金もあるし、地位も名誉もある、おまけにキレイな彼女もいる。完璧な人だった。
当時の僕は、バンドのヘルプをしながら、水商売をしていた。
ヘルプとしてドラムを叩いていた最大の理由は、そのバンドのボーカリストの魅力にあった。彼には存在感があったし、プロになるという志を持っていた。
だから、ボーカルの彼がほかのバンドに引き抜かれてしまうと、ヘルプを務める意味がなくなってしまったんだ。
それから約1年、僕はバンド活動から遠ざかっていた。その間も、ライブハウスには出入りしていたけれど、彼以上のボーカリストには出会えなかった。
当時の僕は、音楽に対してもっと本気になりたかった。でも、周囲のバンドの連中とは、ずいぶん温度差があった。
周りには、プロになれればいいという意識の低いヤツばかりが多かった。バンドをやってれば、とりあえず女のコにモテる、そんなヤツらがほとんどだった。
音楽は趣味。収入はバイトでという連中は、ガソリンスタンドで働いていたり、飲み屋でバイトをしたり。
僕はホストやカジノのディーラーをしていたから、彼らとは生活レベルが明らかに違う。そういう意味でも、僕は彼らにはなじめなかったんだ。
このまま水商売で生きていこうかと思った時期もあった。
ちょうどそんなころだったんだ。彼と出会ったのは。
彼が、いちばん最初に僕に言ってくれた言葉は、今も忘れていない。
「自分の人生を本気で素敵だと思って生きたいか、自分自身はどうでもいいと思って生きたいか。どっちがいい? 僕は、自分の人生を本当に素敵だと思って生きているよ」
彼は穏やかに微笑みながらそう言った。
「どっちがいい?」
と言われたとき、瞬時に思った。僕は自分の人生を素敵だと思っていきたい!
そんなことを考えたのは、生まれて初めてだったかもしれない。僕はそれまでずっとどこかで自分を否定して生きてきたのだから。
それから、彼と行動をともにした。できる限り一緒にいた。よく彼の家に遊びに行って、いろんな話をした。その人も忙しかったから、毎日じゃないけれども、時間があれば、会いに行っていた。
初めて、自分以外の他人に興味を覚えた。僕は、彼のような人間になりたかった。
彼はいつも、
「こっちとこっち、どっちがいい?」
というふうに、わかりやすい話し方をする人だった。
でも、話せば話すほど、彼の考え方、行動の仕方がすべて僕とは違うところにあるということが、わかり始めてきた。何よりも、人としての器が全然、違う。
僕は負けず嫌いだから、今まで自分より少しでも大きな人と出会うと、なんとかして追いつき追い越してやろうと思ったものだが、その人は、そんなレベルじゃなかった。
僕は彼と同じ土俵にすら立てない。それをひしひしと感じていた。
あれから10年たった今でも、彼にはまだ、近づけない。同じ土俵にも立っていないと僕は思う。僕は、あのとき――彼に出会ったときに、この世に生まれたんだ。
本気でそう思っている。
19歳が、僕が生まれたとき。だから、僕はまだまだ子供なんだ。その分、精神年齢が若いのかもしれない。
カジノのディーラーになったきっかけは、水商売をやめたかったから。なんとなく始めたけれど、最後はそのお店のトップディーラーの位置だったと思う。