■菊五郎が「尾上梅幸」を名乗る構想だった
そもそも、今回の菊五郎襲名は、尾上家主導ではなく、松竹が率先して行われたものだったという。
「毎年5月に開催される團菊祭のため、市川宗家の團十郎さんの襲名披露が終わったら、同い年の菊之助さんを菊五郎にして“同格”にしたいという思惑がありました。そのため当代の菊五郎さんには新たに別の名跡を名乗れるよう各方面で動いていたといいます。
ところが、菊五郎さん本人が断固として拒否したのです。表向きは“菊五郎に愛着がある”と説明したことで、老害と揶揄する心ない声もありましたが、実はまったく別の理由があったのです」(前出・後援会関係者)
その名跡が「尾上梅幸」だった。
「菊五郎さんが次に名乗るとすれば、彼の実父の名跡・尾上梅幸にほかなりません。もともと初代尾上菊五郎は『忠臣蔵』の由良之助で一世を風靡した江戸時代の名優でした。芸達者ゆえ歌人としても知られ、彼の俳名が梅幸だったのです。
つまり、尾上菊五郎と尾上梅幸は元来、同一人物だということ。初代、二代目、五代目菊五郎は俳名として梅幸を併用しました。三代目、四代目は菊五郎襲名前の名跡が梅幸でした。そのため、菊五郎さんは自分ではなく、眞秀くんに梅幸(=菊五郎)を継がせたいという固い意志があるのです。それは眞秀くんの将来を案ずるしのぶさんのためでもあります。
菊五郎さんの2人への最大限の愛情表現が、世間からどう思われようと、菊五郎を貫き続けることなのです」(前出・後援会関係者)
“3人目の菊五郎”の道を照らしてくれた父に、寺島は感極まり、心から感謝しているという。
昨年10月、寺島は歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」の『文七元結物語』で初舞台を踏んだ。取材で菊五郎、寺島、眞秀の3世代共演を聞かれ、こう答えていた。
《今の時代、面白い顔合わせで面白い演目をやらないと、お客さんは入らない。試行錯誤しながら、ワクワクする組み合わせで、いいお芝居を見せるということが一番大事だと思います》(『朝日新聞デジタル』’23年10月11日配信)
社会の価値観が変化する今、寺島が“3人の菊五郎”と同じ舞台に立つ日も来るかもしれない。