■「金曜の夕食はよくおすぎさんと3人で」
記者が菩提寺を取材していると一人でそのお墓に献花し、お線香をあげている50歳前後の男性が。
「旧知の彼のマネージャーと連絡を取って、初めてこの寺に来ました。彼女も喧嘩別れしたような感じだったのに、身元引受人が誰もいなかったとかで納骨されたようです」
墓の前で故人を思い出すかのように、長い時間動かなかった。聞くと、テレビ局関係者だという。
「晩年は、名古屋や大阪のテレビによく出演していたんです。名古屋ではおすぎさんともよく合流していて、金曜の夜には、決まったようにおすぎさんと私の3人で、食事に行ったり、その後は名古屋の駅ビルの上階のバーで彼はシャンパンをよく飲んでいましたね。
番組では、ぶっきらぼうな話し方をしますが、実に面倒見のいい人で、優しかったですよ。東京では、当時青山に事務所があって、近くのバーに行ったときには、ウイスキーを飲んでいたかな」
最後に会ったのは4年ほど前だったという。
「コロナ禍中もメールのやり取りはしていましたけれど、2年前くらいからは、音信不通でした。だから、どうしているのかなあと思っていましたが、突然でした。あとは弟のおすぎさんが、ここに入るのでしょうが、その後は、誰も継ぐ人がいないようですね。
時間がたった後に、自然に墓じまいになるのでしょうか……」
無念の表情だった。ピーコさんはお墓参りを大事にしていた。インタビューでもこう語っている。
《毎年お墓参りは欠かしません。年頭、命日、お彼岸、それに夏休みで時間がとれるときには必ず行ってますね》(『産経新聞』1998年8月11日付)
晩年は孤独だったと報じられたピーコさん。だが、“最愛の人”が墓を守ってくれるかもしれない。