阿部寛 98歳実父の看取りを告白…「愛してる」台詞を封印の陰に両親から教わった“重み”
画像を見る 阿部寛(写真:本誌写真部)

 

■「親父との2時間の散歩は映画のよう」

 

そんな母は阿部が35歳のころ亡くなった。阿部は3年半前のインタビューでこうも語っていた。

 

《おふくろが亡くなったときも親父が一生懸命看病していて。最期を迎えるときに、おふくろに感謝の言葉を伝えたんですよ。その姿に子どもには見せない2人の歴史というか愛情を感じちゃってね。

 

それからというもの、芝居でもなまじ簡単に『愛している』と言えなくなりました。愛なんてものはそんな簡単に口にできるものじゃないんだと、親父とおふくろから教えてもらった気がします》(「ぴあ」’22年4月7日配信)

 

阿部家では『愛してる』の台詞は家族に向けてのもので、仕事では“封印”するようになったというのだ。先の『徹子の部屋』で、阿部は40代になって、実父と対話するようになったと語っている。

 

「40歳過ぎてから、親父といろんな話するようになって。昔の戦争時代の人ですから、そういうときの経験とか……。そこから親父とよくしゃべるようになったんですよ。それまでは家に帰ってきても何もしゃべらない親父でした」

 

実際に阿部の父に会ったことがある芸能関係者はこう語る。

 

「とても温厚で優しい方。身長は156センチでしたが、いわゆるソース顔で阿部さんに似ていました。かつて阿部さんが若かりしとき取材陣に追いかけられたことがありました。そのときお父さんが息子さんに変装して車に乗り、取材陣をまいたこともあったとか。

 

お父さんは孫たち(阿部の2人の娘)を溺愛していて、できる限り孫たちの成長を見届けたいと、主治医には“今から電動歯ブラシを使ったほうがいいか”などと相談していたとも聞きました」

 

阿部は育児でも“家族を大事にする実父”をお手本としていた。

 

「どんなに多忙でも、阿部さんはできる限り休日は娘たちと一緒に料理をするなど、家族の時間を欠かさないようにしているそう。お父さんは“人生の道標”だったのでしょう」(前出・制作関係者)

 

晩年の父との散歩の時間が阿部には大事な時間だったという。

 

《親父が僕の家に来たときに散歩するんですが、すごくいい時間なんですよ。2時間くらい、ただただ歩くだけですけど。(略)でも、その2時間は、それこそ映画になるんじゃないかと思うほど充実している》(「クイック・ジャパンWeb」’22年9月11日配信)

 

「愛してる」の言葉を何よりも大事にしていた阿部の両親の愛情は彼の心にいまも映えていた。

 

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