■猪木さんの晩年にも病床に見舞いに
結婚当初、猪木さんは、自身の所属先を離れ、新日本プロレスを立ち上げたために巨額の借金を背負っていた。倍賞は「あなた一人ぐらい私が食わせてあげる」と猪木さんを励まし、2人が新婚生活を送ったのが渋谷区のとあるマンションだったのだ。前出の芸能関係者が続ける。
「のちに娘さんも生まれ、倍賞さんは仕事をセーブしながら、幼稚園に通い始めたお子さんの育児やお弁当作りに奔走。しばらくして女優業も再開し、映画『復讐するは我にあり』(’79年)に出演して新境地を開きました。
猪木さんも’76年、いまや伝説となっているボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリとの“世紀の一戦”が実現。夫婦が充実した日々を送っていたときに住んでいたのが、渋谷区のマンションだったのです。
ときには猪木さんのプロレス仲間も訪れるこの一室で、倍賞さんは手料理を振る舞って、さまざまな人たちと食卓を囲んだといいます。この街は倍賞さんにとって“アントンとの思い出”が詰まった場所なのでしょう」
その後、猪木さんの事業の失敗や不倫騒動などをきっかけに2人は’88年に離婚。しかし、’02年に新日本プロレス30周年イベントで猪木さんとリング上で十数年ぶりに再会することに。渋谷区のマンションで猪木さんと過ごした日々を振り返り、倍賞はかつてインタビューでこのように語っていた。
《人を一生懸命愛した記憶って、たとえそれが別れにつながっても、素晴らしいことなんだって改めて思いました》(『SAY』’03年1月号)
離婚から長い時がたっても倍賞は猪木さんのことを思い続けていた。猪木さんの晩年にも、彼女はたびたび病床に見舞いに訪れていたという。
「闘病中の猪木さんは一部の関係者しか病室に入れなかったものの、倍賞さんだけは別で、彼女が見舞いに訪れると猪木さんは優しい笑みを浮かべていたそうです。渋谷区のマンションで過ごした日々を懐かしく語り合ったこともあったのではないでしょうか。
現在、倍賞さんは猪木さんの享年と同じく79歳。今年の11月には傘寿を控えています。“終の棲家”として渋谷区で独居を決めた背景には『最後はアントンとの思い出の街で気ままに暮らしたい』という強い思いが込められているのだと思います」(前出・倍賞家の知人)
現在倍賞が暮らすマンションは、猪木さんと過ごしたマンションとほど近いところにある。
元夫への愛は、没後3年半が経過してもなお深まっていく――。
画像ページ >【写真あり】結婚時のラブラブな倍賞美津子とアントニオ猪木さん(他6枚)
