061 [E:note]最近の世の中は危ういことが多いというか、硬い話で言えば憲法九条を変えてしまうのかとか、巷の話で言えば、親が子を殺したりとか、子が親を殺したりとか、ものすごく危ういじゃないですか。そして、起こり得ることになってしまっている。僕は自分の取材活動はそういうことを取り扱うことが多いんですが、誰にも親はいたわけだし、子供がいるということは、その親はその子を産んだわけじゃないですか。その関係がテーマだったりしますが、いまそういうことを書かなきゃいけないんだと思うんですよ。例えば、親子で殺し合ってしまうということは、どこでボタンを掛け違ったらそういうふうになったのかというのは、読者は知る権利があるし、知ったほうがいいことだと思うし。そんなご時世で、歌はメッセージ性が強いと思います。
りりィさんは、いまの時代と、ご自身の歌をどんなふうにとらえていらっしゃいますか。
りりィ それは、いま現在歌っている歌ということですか。
[E:note]かつての歌でもいいんですが。
りりィ いまの私たちの歌を好きで聴いてくれる人は、かつて夫婦仲が危なかったというか、離婚とかの方向に行ってしまうほどお互いを見失うときがあるじゃないですか。そういう人たちが、同じ趣味を持つ、私たちの曲を聴くという同じ趣味を持ってくれている。なんかそういう感じで、ご夫婦が多いですね。
[E:note]現在進行形の人は、あまり聴きませんか。熟年離婚しそうだとか。
りりィ 離婚しそうな人が、私たちの歌によってしないで済んでいるとか、そういう係わり合いですね。
[E:note]それはすごいですね。
りりィ それは嬉しいことですね。
[E:note]実際にリスナーの人にそういうことを言われたりすることはありますか。
りりィ そうですね。だから、そういう意味ではまだまだ聴いてもらえる人は少ないんですけど。でも、一緒に見ましょうと聴きに来てくれる人が多いから。その日はお客さんに私たちの歌を聴いてもらうことと、セッションみたいな感じなので、役に立っているということですかね。だから、あまり大きいところでやってもどうかねという感じです。コミュニケーションを取りながら、その場をお客さんと作っていくという。一番いいのは、50、60ぐらいまでですよね。ホールになると、ちょっと遠くになる感じがするので。昔では考えられなかったですよね。昔は、人の顔を見たら歌えなくなった。ステージから見ていると、真っ暗で誰もいないんですよ。だから、安心して歌っていられた。いまは反対に、人の顔が見えないと恐い。アハハ。
[E:note]それは、大きな変化ですね。どうしてそうなったんでしょう。
りりィ どうしてでしょうね。大きな舞台から呼んでもらえなくなったからですよ。だから、小さいところでコミュニケーションを取りながらやっていくという方法しかなかったので、それをやっていたら楽しくなってきたということですね。昔は、人が入り過ぎるから反対に小さいところから呼んでもらえなかったんですよ。
[E:note]そういう時代…
りりィ そういう時代も大体終わるじゃないですか。また、終わった時期に私はちょうど子育てで休んでいたんですね。それで、改めてやり始めて。もう一回やり始めたときは、まず音楽を楽しむところから入りましたよね。40歳ぐらいのときだと思いますが、歌も歌ったけど、オリジナルじゃなくてカバー曲とかをやり始めた。あとバンドでドラムをやったり、そういうふうに音楽を楽しむところから入っていった。しばらくは自分のオリジナルを歌うという雰囲気にはなれな062 くてね。それで、ちょこちょことやっていた。だから、小さいところでやるようになって。埼玉県の幸手市というところでやったんですが、それは、ボランティアなんですけど。「アフガンの子供たちに美味しいものを食べさせる会」というのがあって、それは田代トモヤという人がやっていて。本当は音楽家とカメラマンがアフガンの写真を撮りに行って。いま向こうに畑を作っているので、いろいろな人がCDを売ったお金で向こうの子供たちが畑をやれるようにしてやるというのをやっているんです。田代トモヤとは昔からの友達で、久しぶりに電話がかかってきて、一曲提供してくれないかと言って。それで、うちらの『残そう』という曲があるんです。
[E:note]ありがとうございました。東京でライブがあるときは、ぜひお知らせください。
りりィ はい。東京は毎年5月4日に吉祥寺であるんですね。あと10月12日『新宿ブルースナイト』が新宿のクラブハイツであります。これも毎年やっています。

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