辻仁成・新バンド「ZAMZA’N BANSHEE」を熱く語る
辻仁成さんが新たなメンバーを集めてはじめたバンドZAMZA N’BANSHEE(ザムザンバンシー)。それは聞くものを圧倒するハードロックバンドだった。時代に向けて新たな”叫び”を発する辻さんにバンドにかける意気込みを聞いた!
Q. 聴かせていただきまして、実にハードな音でビックリしたんですけども。
辻 そうですね。
Q. まず、バンド名のZAMZA N’BANSHEEいう名前なんですけども。
辻 ザムザというのは,カフカの『変身』の主人公の名前なんです。グレゴール・ザムザから。バンシーというのは、本当はザムザにしたかったんですけど、メンバーが一人どうしてもバンシーって入れたいと,ベースの恩田ちゃんが。バンシーというのは妖怪の名前らしいんです。死人が出た時に泣き叫ぶ妖精がバンシーって。北欧の神話の中に出てくるらしいんです。スウェーデンとかあっちのほうの。で、よっしゃ、じゃあどうしようってなって、で、ZAMZA AND BANSHEEになったんですけども、そのアンドを省略してZAMZA N’BANSHEE。正式名称はZAMZA AND BANSHEEなんです。でもまあ、なんか、どうでもいいかなみたいな感じで(笑)。ロックだしって感じです。
Q. 辻さんがバンド活動を再開されると聞いていたので、一体どういう音にされるのかなと思ってたんですけど、まさか本当にここまで激しいラウドになると思っていなかったので。逆に気持ちの中では、次はこういう音をやるんだとか決まっていた?
辻 前はECHOESってやってたんですけど、その頃は二十代から三十歳までの五年間ぐらいなんですよね。二十代の後半という時期を。そこからもうずっとやってなくて小説家をやってたんですけど、一人で弾き語りとかやってたんです。うちでずっと聴いてたのはハードなロックで。で、バンドをやりたいなと思ってたけど、小説のほうとか映画とかいろんなことやってましたから、なかなかできなくて。五年ぐらい前にパリでライブやったんです。バスティーユのライブハウスで。その時にギター一本でやったんですけど、ふっとなんかこう……仲間がいて一緒にやれたらどんな感じになるのかなと思って。で、最後のこう果たせなかった夢というか、残してしまった夢を、年齢的にも今の年齢で、普通はもうやらないってなるじゃないですか。そういうのはちょっと自分にはあまりふさわしくないかなと思って、やってみようかなと思って。それで……あまりそんなに友達多いほうじゃないんで、昔のメンバーの伊藤君に「誰か一緒にやるような連中いない?」と言ったら、たまたまジュディマリの二人を知ってまして、彼らに言ったら、「あ、面白いね」って話になって、今から二年ぐらい前に、おととしの冬にホテルで会って、それでやろうって話になったんです。それで一気に話が進んで。
Q. 皆さんハード系で行こうというのがあったんですか。
辻 もともとベースの恩田、オンちゃんはハードロック大好きで、アメリカンハードですけどね、彼は。で、全員ハードな音が好きなんでっていうのと、なんか今の時代、やっぱりハードロックなんですよ。このあいだパリでやったマドンナのライブ、全部ハードロックでしたしね、やっぱりなんか時代はハードロックというか、鬱積が溜まってるというか、みんな。自分も年を重ねていってバラード歌うの当たり前だし、なんかそういうふうにはなりたくないなって。自分の中では、常に 闘ってきたつもりだし、いろんなことでは。だから、ハードロックを選んだんです。
Q. 辻さんの小説やエッセイの読者の方は、多分すごい……
辻 驚きますよね(笑)。
Q. 人生のきめ細やかなことをずっと表現されてきたので、多分そこを……
辻 嘘なんですけど(笑)。
Q. (笑)そこを期待した方々はすごい衝撃というか、まあ、ある種の裏切りになると思うんですけど、そこらへんは逆にあまり?
辻 小説読んでる人がイコール僕の音楽のファンだというんじゃないなと思います。まったく新しいファンの人たちがいるでしょうし。だから、去年も三回ぐらいライブやってますけど、最初のは、ちょっと混乱したんじゃないですかね、最初のライブは。それから、口コミでそういうのを好きな人たちが集まってきたという。だから、このバンドの時の名前は、辻仁成(つじ・じんせい)とか辻仁成(つじ・ひとなり)じゃなくてZincって新しい名前にしたんです。本当は最初、全曲英語でやる予定だったんです。何曲か日本語の詞の曲書いたんです。それから何曲か日本語入ってるんですけど、半分以上は英語。海外で出したいという。BANSHEEってベースのジュディマリの恩田ちゃんは、もともと外タレになるのが夢だったんです。というのは、自分たちの、ちっちゃい頃から外国の音楽しか聴いてなくて、レッド・ツェッペリンだったりそういうのしか聴いて育ってない。歌謡曲全然知らなかったわけですから。そういう意味では……でも、日本人なんで外タレになれないみたいなことがずっと中にあったみたいで。でも、ロックという共通語においては世界で同じなんでというのがあって、みんな海外で最後に挑戦してみたいと。ジュディマリなんてのはものすごく売れたバンドだから、彼らの夢は一個達成されてるわけで、そのあと自分たちでやるために、大人が集まってガキだった頃の夢を果たそうという。で、ちょうどオンちゃん、ジュディマリで稼いだお金で自分ちの地下に、埼玉に大きな家があるんですけど、その地下が全部スタジオになってて、すごい遊び心のあるスタジオなんです。改造の外車がガーッと並んでて。
Q. スタジオの中にですか。
辻 スタジオの中に。それで、ミニカーが何千台とあってスタジオの中走り回る。そんな面白い場所で。そのスタジオがあって、そこでみんなこもって一年半。贅沢な話で、今どき一年以上レコーディングすることってなかなかできないですけど、しかもインディーズで、自分たちが好きなことだけをやろうという。だから、レコード会社から注文とか受けないで自分たちでやろうと。結局、それを貫く意味でも自分たちでレーベルを作っちゃったんですね。まったくの自主製作で。
Q. ジャケットのジャポネスクな感じと、「MANGA」であったりとか「SATORI」とかっていう日本の……
辻 そうです。海外を意識して。
Q. 海外を意識する作りだと僕らも思ったんですけども。
辻 やっぱりハードロックって欧米から始まってるものだけど、もはや今漫画もそうですけど、世界に日本がいっぱい発信してるわけですよね。ロックだってJロックっていうのがあるけども、あれはやっぱり海外では通じないんですよ。やっぱり歌謡曲の一種だと思われてるんで。でも、自分たちが昔から聴いてきたロックの先輩たちの音楽の中には、やっぱり本当に全然海外と比肩しても負けないぐらいのすごいロックがいっぱいあるんだけど、それがやっぱりちゃんと形として結晶されてないというか。それをあえて海外にちょっと、ゲイシャ、カタナ、フジヤマみたいな世界でちょっとあれなんだけど、あえてそれを漫画的世界に捉えて。漫画というのは、僕たちの世代ってちょうど漫画で育った世代なんですよね。漫画が今ここまで世界的になると思わない中で、漫画にとってのアンチテーゼでもあるんですけど、漫画の中で育った僕らがやっぱり、今の日本がこんな状態になってくることも漫画の中に予期されてたことだと思うし、漫画の中に世界の未来もあるし、僕は文学をやってる人間だけど、あえて漫画というものを捉えることで、自分たちが生きた時代を見つめるというか。デュシャンという芸術家が便器だけ置いて、これも芸術ですと言ったようなもので、そういうものも含めてこの漫画の中には、アートな感覚からロックからいわゆる漫画までの範囲が全部入ってると思うんです。そこまでちょっと考えて。
1stアルバム『MANGA』¥3,000(税込み) 世界中のロック注目し始めた日本最強屈指のら独活ロックバンド、ザムザンバンシー。1年半の歳月を費やし完成させた歴史的ファーストアルバム!全世界を震撼させる超ド級スーパーバンドの誕生!聞かずに語るな!ロックファン悶絶の12ソングス! |