辻仁成 東京国際映画祭を完全ジャック!
東京国際映画祭コンペティション部門に出品された映画「ACACIA」。アントニオ猪木さんが初主演を務めたことでも話題になっている同作について、辻仁成監督が、会見で熱い想いを語ってくれました。
―まず、一言あいさつをお願いします。
数日前に倒れて、脳しんとうを起こしまして・・・・・・はっきりしゃべれるかどうかはわかりませんが、期待に添えるように頑張ります。猪木さんも手術の後ということで、アカシアチーム、全体的に元気がないんですが、「元気があれば何でもできる」という猪木さんの精神を引き継いで、今日は一人で頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
―辻監督は、9.11を境にこの映画のことを考えられるようになったと伺いました。その件に関して、お話しを伺いたいのですが。
それまでは、暴力を描く作品を多く作ってきました。しかし、9.11以降、戦争というか、ああいう国同士、民族同士、違う宗教同士の争いを見ていると、人をつなげるものは希望なのではないか、と思うようになりました。自分がやらなきゃいけないのは、人と人とを結ぶことができるような作品を作ることだと。そこで、暴力を描くことはやめようと思いました。9.11以降、自分の考えが大きく変わり、それ以降初めて作ったのが、この作品です。
―日本映画、唯一コンペティション部門の出品ですが、その気持ちとグランプリをとる自信を伺えますか? また、本作は、離れて暮らす息子さんへの思いから作られたと伺いましたが、息子さんへの贖罪という思いが込められているのでしょうか?
離婚によって、最初の子どもと一緒に暮らしてあげることができません。自分が選んだ離婚によって罪のない子どもに、父親を知ることができない境遇を与えてしまった。自分の中の、ある種の思いがあり、また、その子に対して、その子のことを毎日考えている、ということを伝えたいと思いました。今は、再婚して、新しい家族がいて、うまくいっています。
2番目の、今の子どもと一日中一緒にいて、その子に優しくすると、最初の子どものことを考えます。今の家族の前で悲しい顔を見せることはできないですし、最初の子どもに弱いところを見せることもできません。後悔しているのか、自分が反省しているのか、ということに関しても、はっきりした答えはわかりませんが、その子に、どのように父親の存在を伝えればいいのか、伝えられる方法はないのか、と考えたのが、この映画を作ろうと思ったきっかけです。電話で話をしたり、プレゼントを贈ったりすることで、彼の心が癒されるとは絶対思えません。身勝手に思われるかもしれませんが、自分の仕事は表現をすることなので、将来この映画がきちんとした作品として評価され、残っていけば、いつか、その子が大きくなって、自分と同じような年になっても、忘れられたことはなかった、と知ってもらえるのではないかと思うんです。ですから、僕にとってグランプリとか、そういうことは関係ありません。1パーセントも期待していません。出版社が、「帯にそういうことを書きたいんですけど」と言ってきても、「やめてください」と断っています。なぜなら、この映画にグランプリを与えてくれる唯一の人は、自分の息子だけだからです。それを見た息子が僕に対して偽善者といえばそれまでの作品ですし、これからも、また会いたいと言ってくれれば、すごく嬉しいですし。そういう意味で、とても個人的な理由によって作られた映画だと思っています。
また、贖罪ということについてですが、離婚というのは、結局は個人同士の問題です。子どもが影響を受けていることを考えて、自分がそれに対して後悔、謝罪してすむことではないと思うし、そういうことをするべきでもない。それは、個人の自由だと思いますし、お互いの関係性や社会性の問題も出てきます。しかし、それならば子どもの悲しみは誰が埋めるのか、というと、その答えはわからない。とにかく、何かしなきゃと思ったんです。小説でそれを描いてしまうと、一人で全部完結してしまうので、それで終わってしまう気がしたんです。でも、映画だと演じる人もいるし、スタッフもいるし、「監督違うんじゃないの」っていう意見があったりします。実際、北村一輝さんにも、そういうことを言われたりしました。今、離婚がすごく多いですけど、その中で何が正しいのか、というのが、みんなわからなくなってしまっている。僕自身もわからないので、映画を撮ることで、自分も何が起こったのか、人生を振り返ることをしてみたいと思い、この映画を作りました。
―作品に対する思いや息子への思いを、14歳の息子さんは、メディアを通して聞かれていると思います。実際、何かリアクションはありましたか? また、猪木さんから直接メッセージがあったら、聞かせてください。
最初の質問についてですが、相手にも家族があることなので、プライベートな話はできません。その話については、ごめんなさい。
猪木さんの件ですが、彼は、自分の弱い所を見せる人じゃなくて、泣き言を一つも言わないんです。だから、撮影中も、何か悪いなんて気付かなかったくらいです。スタッフから、相当腰が悪いらしいよ、と聞いて知りました。本人が、いちばんこの場にいたかったと思います。自分の時間をほとんど使って、撮影をしましたし。今、アントキの猪木とか、いろいろいるじゃないですか。僕も猪木ファンだったから、ずっと悔しい思いをしてたんです。猪木さんは、それを笑って許してるんですけど、子どもの頃は猪木さんにすごく勇気をもらっていたのに、今は、なんだか笑いものみたいになっていて、それはどうなんだろうっていうのが、ちょっと僕の中にありましたね。猪木さんは、環境問題とか、真剣に考えてる。誠意を持って、地球のことを考えている人なんですよ。しかし、あまりにもそれが正直すぎて、笑いのネタになっちゃうんです。そういう人を笑っていいのか、と僕は思うんですよね。むしろ、アントキの猪木さんに対するアンチテーゼなんですよ、まあ、そんな小さな話じゃないんですけど。
猪木さんとは、あまり余計な会話をしませんが、ある種の信頼関係というか、男同士闘うっていう気持ちでやってきました。弱みは絶対見せない人ですし、アントニオ猪木という人の本質が、この映画に出たら嬉しいと思います。猪木さんのファンの人に喜んでもらえたら、それがいちばん嬉しい。まだ彼は、不屈の精神をもっていますから。彼は、いつも映画でみんなの笑顔の中にいるけれど、あの顔をつらいものにしてしまうのは絶対嫌だし、いつも笑顔でいてほしいと思う。ですから、東京映画祭で選ばれた瞬間は、本当にほっとしました。
―今の家族は映画を見て、感想などありましたか。
小説を書いたりすると、必ず家族や周りも巻き添えになってしまいます。私小説を書くと、大体そういうことで、家族や仲間たちに影響を与えてしまうのは、職業柄しょうがないことだと思っていますが・・・・・・今の家族のことは、少しは語れると思うんです。この映画を撮るにあたって、今の家族がどう思うか、ということも考えなければいけない。映画化の話が決まったときに、説明をして、第一項のシナリオを嫁さんに見せました。その次の朝、起きたら机の上に赤ペンが引っ張られているシナリオが置いてあったんです。この台詞は、相手は聞きたくないんじゃないか、などと言われました。完成稿が出来るまでの間、赤ペンがずっと入り続けて。この映画を撮らせてよ、とか、撮っていいということは一度も言ってないんです。けれども、赤ペンが許可というのかな・・・・・・結局は、いろんな人、世界中の離婚を経験している人に、僕が思っていることが届けばいいわけですから。今の家族がバックアップしてくれなければ、この映画は作れなかったと思いますね。