終戦直後の混乱期に、こんな奇跡のような話があったのかと、驚くに違いない。映画『飛べ!ダコタ』は67年前、新潟県の佐渡で実際にあった話をもとに作られた。
ひが・まなみ☆
86年6月14日生まれ、沖縄県出身。ファッションモデルを経て、05年、映画『ニライカナイからの手紙』で女優デビュー。おもな出演作
に、ドラマ『どんど晴れ』、『天地人』(ともにNHK)、『DOCTORS2~最強の名医~』(テレビ朝日系)などがある。14年には、初舞台『真田十勇士』への出演が控えている。
映画『飛べ!ダコタ』
監督/油谷誠至
10月5日(土)より、シネマスクエアとうきゅう、有楽町スバル座他、全国ロードショー
C)「飛べ!ダコタ」製作委員会
(オフィシャルサイト)http://www.tobedakota.com/
スタイリング/後藤仁子
ヘア&メイク/奥原清一(suzuki office)
――実話をもとに作られた映画ということに、驚きました。まず、脚本を読んでの感想をお聞かせください。
「私も『これが実話だったんだ!』という驚きを持ちました。こんなすばらしいお話が、今まで映画にならなかったのが不思議なくらいですよね。だから、最後までがんばって撮影しようと思いました。初めての主役ということもあり、プレッシャーを感じましたね」
――映画での初主演作品となりましたよね。
「最初は、自分が現場を引っ張って行かないと、と思っていたのですが、実際に現場に入ると、映画作りは1人ではなく、想像以上にいろんな人の支えがあって作られていることを実感しました。それで、ひたすらがんばっていれば、絶対いいものに仕上がるから、と次第に思うようになって。その意味で、プレッシャーは最後にはなくなっていましたね」
――スクリーンを通じても、とても寒そうに見えましたが、実際はどうだったのでしょう?
「撮影は1月でした。画面から見ても寒さが伝わるということは、なかなかないですね(笑)。でも、本当にそれくらい寒かったんです。寒すぎて、鼻先の感覚もなかったくらい。衣装の下に着込んではいたんですけれど、マイナス5度の世界では、それでも寒さはしのげなくて」
――使い捨てカイロを体中に貼って?
「貼ってました! 発熱素材の服も着て、さらにカイロを12枚。貼れるところには全部、貼りました。おかげで鍛えられたというか、精神的にだいぶ強くなりました。寒波が2回も来て、そのたび撮影が中止になって、撮影期間が延びたんです。それもあって、つねに『自然との闘い』という気持ちでしたね」
――佐渡弁にも挑戦されていましたね。
「最初の脚本では、セリフがいわゆる標準語で書かれてあったんです。でも、もし自分の出身地・沖縄を舞台にした作品があって、それが全部、標準語で撮られていたら、私はすごく残念だと思っちゃうんですね。こんなすてきな、宝物のように語り継がれてきた話が、初めて映画として発信されるわけですから、中途半端にはやりたくないな、と思って。それを監督にお伝えしたら、佐渡弁でやろう、ということになったんです。自分が言い出しっぺだから『がんばらなきゃ』って、必死に勉強しました。ギリギリまで地元の方と積極的に話して、覚えていきました」
――演じた千代子のモデルの千世子さんは、現在も佐渡にお住まいとのことですが、お会いしましたか?
「はい、何度も。撮影現場に来ていただいたり、ご自宅にうかがったり。本当に気さくで優しい人で、初めて話したとき、柔らかい気品の中に強さを感じて、一気にファンになりました。この方の役をやれるんだと思って、いっそう役に対する愛情が深まりました」
――千世子さんとはどんなお話をされましたか?
「最初に聞いたのは『英国人のお世話をすることが怖くなかったですか?』ということでした。今でこそ、私たちはいろいろな外国の方と接する機会が多いですけど、当時は終戦直後でしょう? 言葉も通じない人たちを目の前にして、自分がもし同じ立場なら、とても怖いんじゃないかと思ったんですよね。この質問に、千世子さんは『ぜんぜん怖くなかったですよ』と。むしろ、その状況を楽しんでいるような印象を受けました。好奇心も正義感も強かったんでしょうね」
――最後に、作品のPRをお願いします。
「終戦直後の話なので、堅苦しくて重い内容かなと思われるかもしれませんが、後世に残していきたい、すばらしい人間ドラマです。映画が完成した今は、滑走路にやっとダコタが乗ったところ。ここから、作ったものをみなさんのところへ届けるというのが最終地点であり目標です。しっかり届いてほしいなという想いがあります」