「日本の小麦粉は乾燥気味ね」と、手際よくフランスの伝統菓子「サントノレ」を焼いてくれたのは、ダニエル・デルプシュ。フランス大統領の官邸・エリゼ宮で、’88年から2年間、ミッテラン大統領(当時)に料理の腕をふるった人物だ。片田舎で小さなレストランと料理教室を開いていた彼女に、思いがけず訪れた転機を描いた実話を映画化したのが、『大統領の料理人』だ。
「大統領は『家庭的なおばあちゃんの料理を作ってくれ』って。大統領の仕事はたいへんな重責で、ふだんは高級料理を食べる心境になれません。だから季節感あふれる食材で、シンプルで気取らない、だけど洗練された味を心がけたの」
日本の「おふくろの味」をフランスでは「おばあちゃんのお菓子」と呼ぶそうだ。サントノレもそのひとつ。
「別名『おばあちゃんのクリーム』。子どものころ、教会の帰りによく買ったものよ。柔らかくて優しい味は、大人になっても恋しいわ。こういう料理って、昔から絶えることなく引き継がれているから、大統領の心さえもホッとさせるのね」
分刻みの予定表、世界の要人との会食……大統領のスケジュールに振り回されながらも、彼の好みを聞き出し、体調を気遣う料理をふるまった。初の女性料理人として男社会で奮闘したことをはじめ、大統領にリクエストや感想を求めるなど、厨房に革命を起こした。映画では、大統領と2人でしみじみと語り合うシーンがある。心配ごとを抱え、味方もいない互いの立場は似ていた。日常の食を通じ、大統領は裏方である彼女を信頼し、弱音を吐いたのだ。
「権力の舞台裏には、みなさんの前では告白できないことがいっぱいありますよ」
彼女はエリゼ宮を辞めたあと、10年間は世界を飛び回っていた。60歳のときには、国際的な求人サイトで見つけたという、南極調査隊のシェフに。性別や年齢制限の壁を、持ち前の勇気とチャレンジ魂で乗り越えた。
「料理はアドベンチャー。世界中に連れて行ってくれる」
彼女の料理の腕は、ついに国境をも越えてしまった!
だにえる・でるぷしゅ
’42年10月31日生まれ、フランス出身。南西部・ペリゴール地方で、郷土料理を教える学校とレストランを経営していたが、フランソワ・ミッテラン大統領のプライベートシェフに抜擢され、’88年よりその職を2年間務める。その後、南極調査隊のシェフ、ニュージーランドでのトリュフの生産などに携わり、フランス料理・食材の普及を目指して世界中で活動している。
映画『大統領の料理人』
監督/クリスチャン・ヴァンサン シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマほかにて公開中
Les Saveurs du Palais©2012 -Armoda Films-VendomeProduction-Wild Bunch-France 2 Cinema