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いよいよ『なつぞら』も残すところあと2話。ヒロイン・なつの設定のヒントとなった女性は、その晩年をどう過ごしたのか。夫だけが知る、“もうひとつのなつぞら”。

 

「なつを演じる広瀬すずさんはじめ、『なつぞら』では、さまざまな人物が生き生き描かれていて。日本のアニメーション黎明期の、当時の活気にあふれた現場を思い出しますね」

 

そうほほ笑みながら語るのは、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、アニメーション時代考証を務める小田部羊一さん(83)だ。

 

宮崎駿、高畑勲とともに『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』に参加し、キャラクターデザイン・作画監督を務めた小田部さん。アニメ界の “レジェンド” とも言える人物だ。

 

小田部さんは’59年、東京藝術大学卒業後、なつが勤めていた「東洋動画」のモデルになった「東映動画(現・東映アニメーション・’55年発足)に入社。在学中、日本初の長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』(’58年)を見たのがきっかけだった。

 

’63年、すでに先輩として東映動画に在籍し、『白蛇伝』の製作にも参加していた奥山玲子さんと社内結婚。この奥山さんこそ、『なつぞら』のヒロイン・なつという人物設定のヒントとなった女性だ。

 

劇中では、なつと坂場一久(中川大志)、三村茜(渡辺麻友)と下山の職場結婚と、子育ての様子が描かれている。奥山さんと小田部さん夫婦も、共働きで子育てに奮闘したという。

 

「いちばん大変だったのは、僕が東映動画を退所した’74年ごろ。僕は『アルプスの少女ハイジ』、奥山は東映で『アンデルセン童話 にんぎょ姫』の作画監督として製作に参加していました。僕は夜通し作業をして、朝に家に帰り、小学生の息子にごはんを食べさせて。奥山は朝から仕事に出かけるという、昼夜交代の子育て生活が続きましたね」

 

なつと一久も、小学生の娘・優を育てながら、自身らが制作する子ども向けテレビアニメ『大草原の少女ソラ』を成功させるため走り続けた――。

 

劇中で『ソラ』が放送されたのは’74~’75年のことであるが、奥山さんは、その後どのように過ごしていったのだろうか。

 

「僕たち夫婦は、『あんていろーぷ』という名義で、映画『龍の子太郎』(’79年)にキャラクターデザイン・作画監督で参加しました」

 

’85年からは、夫婦で東京デザイナー学院アニメーション科の講師を務めた。そして同年、東映動画時代の同期だった池田宏さんから、小田部さんに「任天堂に来ないか」とオファーが来る。

 

「『アニメーションのノウハウをゲームに取り入れたい』と。僕はゲームをしないし、オファーに躊躇していましたが、奥山が『やってみれば?』と背中を押してくれました。妻がそう言ってくれなかったら、まったく違う人生になっていたかもしれない」

 

そこから20年、小田部さんは週に1度、京都にある任天堂本社に足を運び、大人気ゲーム「スーパーマリオ」シリーズのキャラクターデザインや、「ポケットモンスター」シリーズのアニメーションを監修し続けた。

 

奥山さんは、’90年代からは銅版画家としても活動した。

 

「アニメーション以外にも、奥山はたくさんの表現の手段を持っていました。文章を書くのも好きで、デザイナー学院の講師としては、生徒に対して何か気づいたらすぐに手紙を書いていて。教え子たちにも慕われていたようですよ」

 

だが、’07年、おしどり夫婦に突然の別れが訪れる。

 

「奥山は、故郷の仙台に暮らす母のお見舞いを懸命に行っていました。その疲れもあったのか、風邪をこじらせて肺炎になって。病院では『風邪』と言われたのですが、高熱が下がらず、みるみる弱ってしまい……入院から5日で逝ってしまったんです」

 

それから10年後、’17年6月に小田部さんは大病を患い緊急入院。入院生活は5カ月にもおよんだ。

 

「医師からは『もうダメだ』と言われて、息子は葬儀の準備をしていたほどだったんです。それでも、なんとか生き延びることはできましたが、リハビリをしないと歩くことができませんでした」

 

退院から数日後、NHKの担当者が「アニメーション黎明期の世界を描きたいので、当時の話を教えてください」と訪ねてきた。

 

「もちろん、そのときに奥山の話もしました。僕がいまでは自分の足で歩けるようになったのは、きっと『このドラマを、ちゃんと見届けるのよ』という奥山の導きだったのかもしれないね」

 

そして『なつぞら』がきっかけとなり、奥山さんの原画の画集をつくることにも。

 

「資料を探していたら、作品をつくるため、彼女が構想を描いていた絵がいっぱい出てきたんです。奥山はいつも、アイデアが内側から湧きあがってくるような人だったことを思い出しました」

 

『なつぞら』が終わっても、奥山さんと小田部さんの“共同作業”は、いつまでも続く――。

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