赤裸々に過去も現在も語れるようになったのは、高知さんが「薬物依存回復プログラム」に取り組み始めてからだった。そもそも薬物を使わなくてはならないほど自分を追い込んだ要因も、成育歴からくるゆがんだ美学にある。
「自分の生い立ちは極端にゆがんでいました。小学校5年生までは、親戚の家に預けられ大人の顔色を見て生きてきました。母親に引き取られると、母は愛人だったので父親に気を使いました。母が自殺をしてからは、天涯孤独で東京に出てきました。人に頼ったり助けを求めたり、そうしたことを全く知らなかった。『弱音を吐いちゃいけない』と、何でも一人で抱え込むことが当たり前だったんです」
逮捕後、麻薬取締官に「来てもらってありがとうございます」と頭を下げたエピソードが賛否を呼んだ高知さん。当時は、それほど限界を感じていたという。
「依存症回復プログラムを通じて、いかに自分の生い立ちや価値観が変わっていたかを知りました。もし17歳の自分に声をかけてあげられるなら……。『お前、よく死ななかったな。つらいこと抱えて、本当によく生きていたな』と言ってあげたいです」
9月には執行猶予が明ける。今後は依存症復帰の啓発活動に尽力すると同時に、初の自叙伝発売も控えているという。
「多くの方のサポートのおかげで本当の自分を発見し、55歳にして成人式をもう一度迎えたような気持ちです。依存症は一生完治せず、毎日が回復の日々。しかし本当の自分を発見していく新鮮さがあるので、今は、薬物をまたやりたいという気持ちは起きません。
ただこの病気は油断したらいけないといわれています。だから僕を回復に導き、支えてくれる自助グループの仲間たちからは離れずにいたいと思います。そして今後は、僕自身が誰かの支えになりたい。どん底から抜け出せた自分の経験を生かしたいですね」
最後に「もっと俺らしくありたい。これからの自分が楽しみです」と語った高知さん。その表情は柔らかかった――。
(取材・文:おおしまりえ)
「女性自身」2020年9月8日号 掲載