10代のころからファッションモデルとして活動し、一躍“赤文字”系のカリスマ的存在となった押切もえさん。現在は一児の母として子育てと仕事を両立する多忙な日々のなか、ますますその輝きを増している。12月29日には41歳の誕生日を迎えるという彼女に、美容への向き合い方、10代・20代・30代からの変化についてもうかがった。(1/3)
ーー美容については豊富な知識をお持ちの押切さんですが、40代になって美容との向き合い方に変化はありましたか?
結婚して子供ができてからは、何事もいかに時短で効率よくできるか、ということを重視するようになりました。美容やスキンケアは、時間をかけなくても効果が出るものを使うようになりましたし。以前より集中力もあると思います。ひとつひとつのことをダラダラやらない。少ない時間のなかで充実するにはどうしようか、ということをつねに考える習慣がついて、あとは変化といえば、いろいろ手放すことも増えました。昔は変にこだわっていたことでも、別になくていいこともあるよな、って。
ーー逆に「これだけは手放せない!」というものはありますか?
基本の生活でしょうか。自分の軸になるもの。私の場合は何より家族が大事なんですけど、そこは絶対におろそかにしない。毎日の食事にしても、夫と息子にはなるべく自分で手をかけて作ってあげたいなあ、と思うんです。
ーー働くママは忙しいと思いますが、どのように時間を使っていますか?
時間がなくて、できないことが増えました。長編小説の執筆も、今はとてもできる状況になくて。ただ、いずれ書くときの材料やネタはためておけるなあと思って、思いついたことがあるとメモするようにしています。そういう意味では、自分のなかの優先順位というものができました。昔は、「全部やりたい!」「寝なければいい!」みたいな感じだったんですけど(笑)、今は「今日はいいや」とか、「全部できなくても、ま、いっか」って。そう!「ま、いっか」ができるようになりました。昔はできなかったなあ、生真面目で、後悔するのがイヤだったから。ホント、気が小さくて(笑)。
気が小さいといえば、旅行先で「一緒に写真を撮ってください」と言われたとするじゃないですか。事情があって「すみません、ごめんなさい」をしちゃったとき、ずっと引きずっていたんですよ。「あの人はもう一生、私のことを好きじゃないだろうな」って。
ーー押切さんのような真面目な人の「ま、いっか」は、相当な決断なのでしょう。
友達から「面倒くさい」って言われるレベルでしたからね(笑)。自分でも不器用なのはわかるんです。だからこそ、「ま、いっか」ができるようになったのは、すごく大きな成長だと思います。
ーーでも、不器用な人のほうが、なんでも結果的にきちんと身につく気がします。
失敗からかなり学んでいますね……学んでいると信じています。 あと、失敗談を伝えられるのはいいことだなあ、と思います。「こういうときもあったよ」って。
ーー押切さんは10代からティーン誌のモデルをされていましたが、当時の美容やメイクで「失敗したなあ」というエピソードはありますか?
高校生のとき、素人で読者モデルをやっていたんですけど、日焼けがすごく流行していたんですよ。「きれいに日焼けしている=かっこいい、大人っぽい」みたいな。だから、背伸びして無理やり肌を焼いて、「どこまでいっちゃう〜?」というノリでした(笑)。日焼けした黒い肌に白いルーズソックスを履く、というのが私たちのなかではかっこよかった。
ーー当時の高校生は、安室奈美恵さんのマネをしていましたね。
安室さん、大好きでした。いわゆる“アムラー”でしたから(笑)。安室さんが髪型を変えると、すぐにマネしたりして。
ーーそのころ、肌のトラブルはなかったんですか?
ありがたいことに、日焼けしてもそれほど大きなトラブルはありませんでした。でも、今思うと相当なダメージだったろうなあ、と。当時の私にそっと教えてあげたいですもん、「紫外線はダメージになるよ」って。でも、仲間内でも「顔は直接焼いちゃダメ」という説が定着していたので、日焼け止めを塗ってから日焼けしていましたね(笑)
ーー日焼けサロンにも行くタイプでしたか?
じつは行っていました。なんであんなにお金をかけて焼いていたんでしょう? 当時はいろいろな都市伝説があって、「たくさん寝ると白くなっちゃう」とか。だから、なんとか夜更かしをしようと試みたんですけど、私には難しくて(笑)。あと、大手の化粧品メーカーから、日焼け肌を楽しめるような濃い色のファンデーションが出ていたんですよね。あ〜、懐かしい!
ーー10代はずっと日焼け肌だったんですか?
安室さんのあとに華原朋美さんが出てきて、そこから一気に美白ブームがきました。「朋ちゃん、かわいい!」と言って、まわりのみんなは一気に日焼けを卒業していきましたね(笑)
(インタビュー中編へつづく)