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育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「人生をともに歩んできた音楽には、勇気と夢をもらいました。そのときどきでお気に入りの曲もありますが、人生でずっと聴き続けている“殿堂入り”の曲が、クリスタルキングの『大都会』、少年隊の『仮面舞踏会』、ゴダイゴの『銀河鉄道999』、そして『青い珊瑚礁』です。毎日、この4曲だけ繰り返し聴くだけでも満足なんですが、とくに女性歌手の曲でもある『青い珊瑚礁』は、歌うのも大好きです」

 

当時のシングルレコードを手に語るのは、元バレーボール日本代表の大林素子さん(53)。

 

松田聖子のデビュー2作目である『青い珊瑚礁』は’80年7月にリリース。グリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCMソングに起用され、オリコン初登場87位ながら、2カ月かけて2位まで上昇し、ミリオンセラーを記録した。松田聖子をスターダムに押し上げた、初期の代表作である。

 

大林さんのバレー人生に、同曲はずっと伴走してくれたという。中学卒業後、大林さんはバレーボールの名門・八王子実践高校へ進学。寮生活で唯一、自由に過ごせるのが、練習が休みとなる月曜。この日は自宅に帰ることができた。

 

「地元の友達と会ったりもしたかったのですが、寮では3年生しかテレビを見ることが許されず、ウォークマンも禁止されていたので、家に帰ると、ずっと歌番組を見たり、音楽を聴いたりしていました」

 

高校生ながら全日本の代表入りをした’85年、ワールドカップのスペシャルサポーターを務めたのが、偶然にも松田聖子だった。

 

「テーマ曲が『TOUCH ME』だったんですが、英語の歌詞なので、(マネして歌うには)ちゃんと発音するのが難しかったですね。現在、全日本代表の監督を務める(中田)久美さんは明菜派だから、実業団に入ってから一緒にカラオケに行く機会があると、それぞれ聖子ちゃんと明菜ちゃんの曲を歌ったりしていました」

 

夢の舞台だった’88年のソウルオリンピックに“聖子ちゃんカット”で臨んだのも、大林さんらしいエピソード。

 

「’80年代は“スポ根”色が濃厚で、今のように試合直前まで音楽を聴いたり、マニュキュアやピアスで自己主張するなんてありえなかった時代。唯一、女性らしさを出せたのが髪形でした。試合の日の朝、選手村の宿舎で、“聖子ちゃんカット”にするために一生懸命“くるくるドライヤー”で髪を巻いていたら、監督から『なに、ちゃらちゃらしてるんだ』って笑われたりしましたが、それでテンションを上げたんです」

 

だからこそ、日本中を魅了するプレーができたのだろう。憧れのスターと一緒に仕事ができたのは、現役を引退してから。

 

「’08年の女子バレーボール・ワールドグランプリの、イメージキャラクターを務めていらして、会場では私の隣の席で試合をご覧になっていたんです。顔がちっちゃくて、すごくきれいで、とても“現世の人”とは思えなくて……。思いきって『スキンケアは、どうしているんですか?』と質問したら、そばにいたメークさんが、聖子さんが使っている、キラキラのラメの入ったフェースパウダーを分けてくださったんです。今でも大事に持っていて、ここぞというときにだけ、使うようにしています」

 

「女性自身」2021年2月9日号 掲載

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