■「おお、生き返ったか!」とうれしそうに……
「タイトなスケジュールだったこともあり、撮影現場はとても混乱していました。それでも漣さんは『監督がやろうとしていることは全部やるから。何でも言ってね』と声をかけてくれて。その言葉が本当にありがたかったです。
漣さんは、誰にでも分け隔てなく気さくに接してくれる方でした。現場近くにある喫茶店のママが漣さんのファンで、サインをお願いしたそうです。そしたら『もちろん!』と快諾。お店には画用紙しかなかったのですが、漣さんは嫌な顔一つせずサインしたそうです。
しかも翌朝になると漣さんは『書き直したよ!』と言って、再びそのお店に出向いたんです。色紙を自分で買って、改めてサインもしていたと聞きました」
同作で初タッグを組んだ大杉さんと坪川さん。以降、大杉さんが亡くなるまで交流は続いた。
大杉さんが亡くなった後、息子で写真家の大杉隼平さん(38)は坪川さんにこう明かしたという。
「亡くなる少し前に一緒にごはんを食べたときも室蘭の話をしてくれました。だから、本当に撮影が楽しかったんだと思いますよ」
室蘭での撮影を思い続けていた大杉さん。実は、坪川さんは“ある約束”を交わしていたという。
「漣さんは作中、生死をさまよう役柄を演じていました。しかし室蘭を離れるときに『おそらく死んでしまう役だろうね。でも、また室蘭に来たい。だから生き返らせてよ』と言ってきたんです。僕は『じゃあ生き返らせます』と約束して。それでエピローグの章を書き足すことになりました。
脚本ができてから漣さんに『生き返らせました』とメールしたら、『おお、生き返ったか!』とうれしそうで。それが亡くなる半年くらい前のことでした。漣さん側はスケジュール調整もしてくれていたのですが、『2日続けて室蘭に滞在するのは難しいかも』と悩んでいて。そんなやり取りをしている間に亡くなってしまったんです。訃報を知って愕然としました」